「不安といっしょに、その日くらし。」
散歩の途中、池のほとりでカルガモたちを眺めていると、不思議な気持ちになる。あっけらかんとした表情で、水面をぷかぷかと漂うその姿。まるで「自分の人生に対して他人事」のようにも見えてしまう。
もちろん、カルガモには人間のように約束された「明日」なんてない。生命保険も年金もなければ、明日の食べ物すら保証されていない。それでも彼らは、ちゃんと「今日」を生きている。人間の僕からすれば、それはもう、信じられないくらいの生き方だ。
一方で人間は、どこまでも未来への不安にとらわれる。たった一日を集中して生きることすら難しい。霧のかかった未来に怯え、その恐怖を払うように働き、蓄え、備えていく。
不安は、人間の本能なのかもしれない。完全に消すことはできない。仮に1ヶ月先まで生活が保障されたとしても、今度は1年後、10年後と、尽きることなく不安は姿を変えて現れる。
それでも僕は、カルガモのように、ただ「今日一日」を生きてみたい。気楽そうだからじゃない。彼らがその日その日をまっすぐ生きている姿に、あこがれと尊敬を抱かずにはいられないのだ。
そんな僕に、ある人がくれた言葉がある。今でも、ときどき思い出す。
「あなたが不幸になっても、世界はいつも通り回ってるから大丈夫。」
この言葉は、人によっては冷たく聞こえるかもしれない。でも、僕は何度も救われてきた。未来が怖いのはきっと、“自分が不幸になるかもしれない”という恐れのせいだ。
だからこそ、思いきって開き直ってみる。「たとえ不幸になったって、地球はちゃんと回る」。それならそれで、いいじゃないか。そう思うと、不思議と肩の力が抜けて、また少しだけ歩き出せる気がする。
カルガモだって、人間が理想とするようなハッピーエンドを迎えるとは限らない。いずれは捕食されたり、孤独に息絶える日が来るかもしれない。でも、それを「不幸」とは呼びたくない。ただの自然な命の流れであり、それも彼らにとっては、ひとつの「できごと」にすぎない。
人間だって、本来はそうあるべきなのかもしれない。
どうせ先のことなんて、誰にもわからない。だからこそ、「不安といっしょに、その日くらし。」——そんなふうに生きてみるのも、悪くないと思う。
僕は、今日という一日をちゃんと生きてみたい。その日を、ささやかでも「幸せだった」と言えるように。そして、そんな日が一日でも多くあってほしい。
水面を漂うカルガモのように。一生懸命に、のんびりと、ときどきひやっとしながら。
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「BLUE MEMO – Wednesday Column」
週の真ん中、水曜日。ちょっと肩の力を抜いて、リラックス。そんなコラムをお届けします。