「人生に、完璧なんてほとんどない。
それは、月がほとんど満月にならないのと同じように。」
僕たちが“本当の満月”を見られるのは、1年のうちたった12日ほどだという。それ以外の夜空に浮かぶのは、どこかが欠けた月ばかりだ。
けれど、僕たちはそれを“未完成な月”とは思わない。上弦、下弦、三日月──それぞれの形にちゃんと名前があって、昔の人はそのひとつひとつに美しさを見いだしてきた。
自分の人生も、そんなふうに見られたらいいのにと思う。完璧じゃなくても、欠けていても、それこそが自然の美しさなのだと。
僕はこれまで、自分の人生をずっと「不完全」だと感じてきた。いわゆる“満月”のような瞬間を、ちゃんと経験できたことがない気がする。
まわりの“当たり前”が、僕にはどうもうまくできない。10代のころは不登校も経験したし、学校を出ても会社に勤めることができなかった。今でもときどき、自分だけが世界から取り残されているような気がして、ひどく落ち込むことがある。
それでも僕は、「ちゃんとした人生」を生きようとしてしまう。まるで満月を追いかけるみたいに。
それはきっと、僕だけじゃないはずだ。誰だって「自分に欠けた何か」を求めながら、懸命に生きている。
けれど──ずっと満月を目指し続ける人生は、やっぱり少し疲れてしまう。
むしろ、月のように欠けたままで堂々としている姿のほうが、どこか自然で、清々しい。
よく考えてみれば、僕たち動物もいつかの時点で「男」と「女」に分かれたと言われている。生命のはじまりには、性別も寿命もなかった。そこから、誰のいたずらか、完璧とは言えない“いまの形”へと進化してきた。
つまり、欠けがあることは“自然の法則”なのだ。完璧じゃない。それがふつう。
みんな、どこかが欠けたまま、どうしようもない心細さを抱えながら生きている。でも、だからこそ欠けた部分をお互いに補い合う力が生まれる。痛みを知るぶん、人に優しくなれる。助け合うために、そうなっている気さえしてくる。
僕もいつか、自分の人生の中に、欠けた月のような美しさを見いだせたらと思う。
そしたらきっと、僕はほんとうの幸せを知ることができるだろう。
秋の夜長、そんなことを思いながら、僕は静かに月を眺めている。
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「BLUE MEMO – Wednesday Column」
週の真ん中、水曜日。
少しだけ肩の力を抜いて、心を休める時間を。
そんな想いを込めたコラムをお届けします。
今回のテーマは「月は欠けているから美しい」。
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