ご覧頂きありがとうございます。
こちらは、日本武尊さまを描いたファブリックパネルです。
日本武尊さまは、大和国に生まれ、小碓命(おうすのみこと)と名付けられました。
父の景行天皇から、九州の熊襲を捕えよと命じられ、熊襲兄弟を討った時から、日本武尊の名前を名乗りました。九州からの帰りに、出雲の出雲健を打ちました。
しかし、大和国へ帰るとすぐ、再度、景行天皇より東へ旅立つよう命じられます。東の地を鎮めるため、倭姫命より草薙剣と小さな御守り袋をもらいました。遠征の途中には、次から次へと襲いかかってくる悪い神々や、日本武尊に逆らうものを倒し進みます。
神奈川の走水から船に乗り、千葉の房総半島へ渡ろうとしました。海の神さまが邪魔をして、船を沈めようとしました。その時、いつの間にか船に乗り込んでいた、日本武尊の正室の弟橘姫が立ち上がりました。「私が海へ入り、神様の怒りを治めます。」と言い、海へ身を投げました。
するとたちまちに、海は静まり、旅を続けることができました。
その後、東の地の混乱を鎮めた日本武尊が、故郷へ帰ろうとした時、房総半島の海を眺めて亡き妻を偲び、感謝に浸っている様子を絵にしました。敵と闘う勇ましい姿ではなく、妻を想う哀愁漂う日本武尊さまのお姿の絵は少ないかもしれません。
強すぎる故に、父から敬遠された日本武尊さま。それでも、国を愛し、父である景行天皇を支え、共に国作りを進めようと自分の任務を完遂されました。
そして日本武尊と弟橘媛の2人の物語は、共に日本国の礎を作ろうとする一途な想いにより、さらに崇高なものへと昇華していったのではないでしょうか。
そんな日本武尊さまが皆さまにお伝えしたいとおっしゃられている事があります。
「皆(みな)、良き勇者たれ。」
そんな神さまの思いをのせてお届けいたします。
あなた様のお気に入りの神さまが見つかることをお祈り申し上げます。
【サイズ】
30cm×30cm(厚さ約1.5cm)
絵を布に印刷して、木のパネルにタッカーで貼り付けて作成しております。
【プリントの色味・仕上がり】
*表面に細かな糸くずなどの異物(ネップ)が混入することがあります。
*濃い色や単色部分の面積が広いデザインの場合、生地のわずかな凹凸部分に染料が十分吸収されず、小さな白いスポットが生じる可能性があります。
ご覧頂きありがとうございます。
こちらは、日本武尊さまを描いたファブリックパネルです。
日本武尊さまは、大和国に生まれ、小碓命(おうすのみこと)と名付けられました。
父の景行天皇から、九州の熊襲を捕えよと命じられ、熊襲兄弟を討った時から、日本武尊の名前を名乗りました。九州からの帰りに、出雲の出雲健を打ちました。
しかし、大和国へ帰るとすぐ、再度、景行天皇より東へ旅立つよう命じられます。東の地を鎮めるため、倭姫命より草薙剣と小さな御守り袋をもらいました。遠征の途中には、次から次へと襲いかかってくる悪い神々や、日本武尊に逆らうものを倒し進みます。
神奈川の走水から船に乗り、千葉の房総半島へ渡ろうとしました。海の神さまが邪魔をして、船を沈めようとしました。その時、いつの間にか船に乗り込んでいた、日本武尊の正室の弟橘姫が立ち上がりました。「私が海へ入り、神様の怒りを治めます。」と言い、海へ身を投げました。
するとたちまちに、海は静まり、旅を続けることができました。
その後、東の地の混乱を鎮めた日本武尊が、故郷へ帰ろうとした時、房総半島の海を眺めて亡き妻を偲び、感謝に浸っている様子を絵にしました。敵と闘う勇ましい姿ではなく、妻を想う哀愁漂う日本武尊さまのお姿の絵は少ないかもしれません。
強すぎる故に、父から敬遠された日本武尊さま。それでも、国を愛し、父である景行天皇を支え、共に国作りを進めようと自分の任務を完遂されました。
そして日本武尊と弟橘媛の2人の物語は、共に日本国の礎を作ろうとする一途な想いにより、さらに崇高なものへと昇華していったのではないでしょうか。
そんな日本武尊さまが皆さまにお伝えしたいとおっしゃられている事があります。
「皆(みな)、良き勇者たれ。」
そんな神さまの思いをのせてお届けいたします。
あなた様のお気に入りの神さまが見つかることをお祈り申し上げます。
【サイズ】
30cm×30cm(厚さ約1.5cm)
絵を布に印刷して、木のパネルにタッカーで貼り付けて作成しております。
【プリントの色味・仕上がり】
*表面に細かな糸くずなどの異物(ネップ)が混入することがあります。
*濃い色や単色部分の面積が広いデザインの場合、生地のわずかな凹凸部分に染料が十分吸収されず、小さな白いスポットが生じる可能性があります。