昨日は、車で熱田神宮までお参りしてきました。写真は境内の参道です。
伊勢神宮も熱田さんにも何度かお参りしていますが、土地の波動に敏感な私は行くまでが一苦労。
電車でも、実は敏感な方は、神宮前駅あたりで体調が悪くなる方がとても多いです。
よくぞここに神宮を・・と正直思ってしまう場所がたどり着くまでにたくさんあって、今回も大変でしたが
どうしても”呼ばれる”時には頑張って行きます。
理由もわからず、でも行かねばならない時、というのがあるのです。
私は実は・・・神社の神様に、お願いやお祈りはしません。祈願しません。
感謝をお伝えすることはあります。
※ 状況的に帰ることが100%無理だった、うちの猫が脱走してしまった時のことです。
奇跡が続き、他の猫に連れられて!帰ってきたときがありました。
3軒隣の神社で猫を一度見かけ、「今の猫をどうか助けてください。でも、どうにもならないのであれば私は全ての結果を受け入れます。」と伝え
その日にいくつもの奇跡と直感を経て、彼女は戻ってきました。もちろん私は泣きながらも限界まで行動し、動き、頑張りました。
その神社には今でも感謝を伝えています。(無理なポジティブ感謝ではなく、心からの感謝のみです。)
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そんな私も
20年前位前までは「願い事」を伝えていました。
そして最後に伊勢神宮にお参りした時・・・
「本当は”神社”というものはいらないのだ。一人一人の心の中に完全に信頼できる神聖な寺院があることに気づき、何よりもそれを信じることができるようになるまで、”神社”という場所が存在する。人が進化すれば神社などいらぬもの」
と、お社に向かう階段の途中で言葉が聴こえたので
「あぁ、本当にそうだな・・神社の存在に対する違和感はこれだったんだ」と気づかされました。
そして、自力(自分の行動力・実行力・勇気)と、他力(神の力、抗えない宇宙の力)の両方の作用を、この身が切り裂かれるほどに知ってから、神社・仏閣を訪れても
・・ただただ
「神様(宇宙)の力と意思、そして私の中の万物の叡智・源に帰依します」というものになった。
むしろ、お社を前にしてお賽銭を入れた後は完全に「無」になっていることが多い。
今回もそうだった。
だから、誰かと一緒にお参りして「何をお願いした?」と聞かれても「実は何も・・・」と答えると「えええええーーー!?何それ!」と驚かれるww
本当だから仕方ない。
かと言って願わない理由を説明しても、誰にでも理解できることじゃないし・・・
いつの間にか、自然に願わなくなったという感じ。
それか・・「手に入れたいと思う全てを手放させてください」とか。
こうした形で、完全に神や宇宙に身を委ねつつ、自分の努力は限界までしっかり行い、行動していると神社に行く「前後で」必ずサインや導き、声が聞こえるのだ。
今回も1億分の1くらいの確率(より高いかも)で、あるシンクロが起きた。
「いい加減に”完全に”お前の感覚を信じろ」というサインでした。
私は「何かに期待をする」というのが苦手で ぬか喜びに終わる事を恐れ、何度もサインを宇宙に要求することがある。私もサインは欲しがっているのだw
これも、自分の感覚を完全に信じ切れていない証拠。
特に、自分の事に関して、だ。
ご相談者様や人への直感やメッセージにはかなりの自信を持っているのに、私自身の事になるとサインを信じ切ることに一抹の不安を持つ。
これは、独りよがりの霊能者になる恐れがあったり、自分の力を過信しすぎると危険であり、常に自分の感覚を疑いなから霊視する癖があったから。
それとやっぱり自分の事になるとエゴが動き出してくるから。
でも、さすがに今回は「自分のことでも、しっかり信じなさい」という強烈なメッセージが私自身から湧きあがってきた。
そう、ありえないほどの確率で起きるこのシンクロを、せっかく万物の源である神・宇宙が何度も何度も伝えているのに
完全には信じない、完全には受け入れないということは、無礼につながると気づいた。そう、無礼なことなのだ。
私は、何度も宇宙や神にサインをくださいと訴えておきながら、彼らが怖いほどのシンクロや奇跡を与えてくれても180%の信用では受け取らないでいたということ。
詳しくは書かないけれど、車のエンジンをかけた瞬間にラジオから「それかかる?!」という曲が・・・。
呪いかよ!と思うほどのタイミングだった。
人気のある曲だとか流行りの曲でもない、私にだけ向けられた曲だった。
強烈なサインすぎて驚くよりも・・もはや膝から崩れ落ちた。
そのまま、私が神様や宇宙に求めていたサインの答えだった。
思わず「ちょっと待ってくださいよぉ~~~」と言って、ため息と笑いしか出なかった。
「わかりました・・・私はあなたのサインを欲しがっておきながら、受け取ることを恐れ・・信じ切らないでいたのですね」と・・・
例えば、1日で時計の数字が 11:11、12:12、13:13、14:14、15:15、16:16、17:17 全てを偶然に順番に見た日もある。
それでも偶然のせいにして信じないようにしてしまうことがあるほど、本当は現実主義者の私。
でも、そろそろちゃんと神様のサインを完全に信じて、私自身が喜びや期待の中で人生を信じなきゃいけない時だなと
私の中の神様から一撃を食らった。
熱田神宮の神様じゃない、私の中の神(万物の源・全てを知っている叡智)からのハリセン一発!(古い?)
私自身の事に関わることを信じ切れていないことに、気づかせてくれた。
そして、今までよりも、もっともっと人も未来も信じられるようになるのだろう。
それと、「人生に期待しなさい」「自分に期待しなさい」と「期待」という、私に縁の無かった言葉を”正しく”持ち続けなさい。と
ハートから聞こえてくるのだ。
人から期待されるということが本当に重くて苦手だったから、他人には期待を全くしない私。依存もしないし、されたくない。
でも、”自分自身”にはどれだけ期待しても良いのだと気づく。
「期待」は自分にするもの。人じゃない。
幸せと同じだ。
「幸せにします」「幸せにしてください」じゃなくて、それぞれが自分の責任で「幸せになる」と決意すること。
誰かや何かに「する」とか「してもらう」ことじゃない。自分が「そうなる、そうする」こと。
私のエゴを満たし、いい気分になりたいための期待ではなく、もっと深い、宇宙が私に求めることを期待して導かれたい。