作品説明
ARABIA(アラビア)には、量産の食器ラインとは別に、作家が自由に制作するためのアート部門がありました。1932年に芸術監督クルト・エクホルムのもとで整えられ、素材や釉薬、成形の実験が重ねられた場所です。ビルガー・カイピアイネンは1937年にこの部門へ加わり、半世紀以上にわたって在籍しました。本品は、その手仕事の流れから生まれた一枚です。
アート部門の皿は、食卓で使うためではなく、壁に掛け、棚に立てて絵として眺めるために焼かれています。北欧の住まいでは、長い冬の室内に差し込むわずかな光を受けとめる一枚として、こうした皿が飾られていました。
図案は、花に取り巻かれた一羽の鳥です。青緑を基調とした地の上で、鳥の体と花びらが同じ密度で画面を埋め、どこまでが鳥でどこからが花なのか、輪郭がゆるやかに溶け合っていきます。全体には虹色の光沢をもつラスター釉がかけられ、見る角度と光の入り方によって、緑から紫、金色へと表情が移ろいます。平らな絵柄ではなく、光そのものを絵の一部として組み込んだ装飾です。
鳥は、カイピアイネンが生涯くり返した主題のひとつでした。1960年のミラノ・トリエンナーレでは、セラミックビーズをちりばめた鳥の作品でグランプリを受賞しています。ポリオの後遺症でろくろを回せなかった彼は、そのぶん表面の装飾に執着し、細部を埋め尽くす描写と釉薬の実験で独自の世界をつくりました。本品の鳥と花も、その系譜の只中にあります。
1969年のパラティッシ(Paratiisi)に代表される量産シリーズが世界へ広まる一方で、アート部門から生まれた一枚ずつの装飾陶は、食器とは別の「装飾美術」として受け継がれてきました。同じ作家の手から、工場の窯で何万枚と焼かれた絵柄と、画面を一枚ごとに組み立てた作品の両方が出てくる——その振れ幅の大きさこそが、カイピアイネンという作り手の輪郭です。
ARABIA — フィンランドが世界に誇る陶磁器の名窯
1873年、スウェーデンのロールストランド社がヘルシンキに設立した分工場がARABIAの始まりです。当初はロシア帝国向けの陶磁器を生産していましたが、1916年にフィンランド資本の企業となり、20世紀半ばにはフィンランド最大の陶磁器メーカーへと成長しました。
「装飾の王」が生んだ楽園
パラティッシをデザインしたビルガー・カイピアイネン(1915-1988)は、フィンランドが誇る「装飾の王(Koristeiden kuningas)」。幼少期にポリオを患い、ろくろが使えない身体でありながら、50年以上にわたりアラビア工場で装飾芸術に人生を捧げました。
ミニマリズムが席巻する北欧デザインの潮流に、彼は真っ向から抗いました。
「装飾性は人類最古の執着である。それを去勢すれば、人間は弱者になる。私は単調さと単純化が嫌いだ」
アラビア工場 — パラティッシが生まれた場所
妻の死、スミレ、そして楽園へ
1966年、カイピアイネンは最愛の妻マッギを失います。彼女の棺をブルーのスミレで覆ったその日から、スミレは彼の生涯のモチーフとなりました。
「ショパンはスミレを愛した。私はショパンを愛する」
悲しみの中で生まれたのが、200万個のセラミックビーズで構成された40平方メートルの巨大壁画「オルヴォッキメリ(すみれの海)」。1967年モントリオール万博でグランプリを受賞しました。
このオルヴォッキメリの延長線上に、1969年、パラティッシは誕生します。元の名前は「タルハ(果樹園)」。ベルギー国王ボードワン夫妻がアラビア工場を訪問した際、完成したばかりのこのデザインに一目惚れ。ファビオラ王妃が自宅用に購入を希望し、「パラティッシ(楽園)」と名付けられました。
■詳細スペック
・メーカー:ARABIA
・デザイナー:Birger Kaipiainen / ビルガー・カイピアイネン
・製造国:フィンランド
・サイズ:幅約21cm 奥行き約19cm 高さ約3cm
コンディション:割れや欠けがなく、オリジナルの姿をとどめた完品です。
ARABIA(アラビア)には、量産の食器ラインとは別に、作家が自由に制作するためのアート部門がありました。1932年に芸術監督クルト・エクホルムのもとで整えられ、素材や釉薬、成形の実験が重ねられた場所です。ビルガー・カイピアイネンは1937年にこの部門へ加わり、半世紀以上にわたって在籍しました。本品は、その手仕事の流れから生まれた一枚です。
アート部門の皿は、食卓で使うためではなく、壁に掛け、棚に立てて絵として眺めるために焼かれています。北欧の住まいでは、長い冬の室内に差し込むわずかな光を受けとめる一枚として、こうした皿が飾られていました。
図案は、花に取り巻かれた一羽の鳥です。青緑を基調とした地の上で、鳥の体と花びらが同じ密度で画面を埋め、どこまでが鳥でどこからが花なのか、輪郭がゆるやかに溶け合っていきます。全体には虹色の光沢をもつラスター釉がかけられ、見る角度と光の入り方によって、緑から紫、金色へと表情が移ろいます。平らな絵柄ではなく、光そのものを絵の一部として組み込んだ装飾です。
鳥は、カイピアイネンが生涯くり返した主題のひとつでした。1960年のミラノ・トリエンナーレでは、セラミックビーズをちりばめた鳥の作品でグランプリを受賞しています。ポリオの後遺症でろくろを回せなかった彼は、そのぶん表面の装飾に執着し、細部を埋め尽くす描写と釉薬の実験で独自の世界をつくりました。本品の鳥と花も、その系譜の只中にあります。
1969年のパラティッシ(Paratiisi)に代表される量産シリーズが世界へ広まる一方で、アート部門から生まれた一枚ずつの装飾陶は、食器とは別の「装飾美術」として受け継がれてきました。同じ作家の手から、工場の窯で何万枚と焼かれた絵柄と、画面を一枚ごとに組み立てた作品の両方が出てくる——その振れ幅の大きさこそが、カイピアイネンという作り手の輪郭です。
ARABIA — フィンランドが世界に誇る陶磁器の名窯
1873年、スウェーデンのロールストランド社がヘルシンキに設立した分工場がARABIAの始まりです。当初はロシア帝国向けの陶磁器を生産していましたが、1916年にフィンランド資本の企業となり、20世紀半ばにはフィンランド最大の陶磁器メーカーへと成長しました。
「装飾の王」が生んだ楽園
パラティッシをデザインしたビルガー・カイピアイネン(1915-1988)は、フィンランドが誇る「装飾の王(Koristeiden kuningas)」。幼少期にポリオを患い、ろくろが使えない身体でありながら、50年以上にわたりアラビア工場で装飾芸術に人生を捧げました。
ミニマリズムが席巻する北欧デザインの潮流に、彼は真っ向から抗いました。
「装飾性は人類最古の執着である。それを去勢すれば、人間は弱者になる。私は単調さと単純化が嫌いだ」
アラビア工場 — パラティッシが生まれた場所
妻の死、スミレ、そして楽園へ
1966年、カイピアイネンは最愛の妻マッギを失います。彼女の棺をブルーのスミレで覆ったその日から、スミレは彼の生涯のモチーフとなりました。
「ショパンはスミレを愛した。私はショパンを愛する」
悲しみの中で生まれたのが、200万個のセラミックビーズで構成された40平方メートルの巨大壁画「オルヴォッキメリ(すみれの海)」。1967年モントリオール万博でグランプリを受賞しました。
このオルヴォッキメリの延長線上に、1969年、パラティッシは誕生します。元の名前は「タルハ(果樹園)」。ベルギー国王ボードワン夫妻がアラビア工場を訪問した際、完成したばかりのこのデザインに一目惚れ。ファビオラ王妃が自宅用に購入を希望し、「パラティッシ(楽園)」と名付けられました。
■詳細スペック
・メーカー:ARABIA
・デザイナー:Birger Kaipiainen / ビルガー・カイピアイネン
・製造国:フィンランド
・サイズ:幅約21cm 奥行き約19cm 高さ約3cm
コンディション:割れや欠けがなく、オリジナルの姿をとどめた完品です。