『神具のようなお道具』と音が響いてきたのは、2025.4あたりだったと思う。
そんな音が聞こえてきても、やっぱりスルーのわたし。
だって、そんなの作るなんて、とてもじゃないけど畏れ多いじゃないですか…
それに人には、踏み込んでイイ領域と踏み込んではイケナイ領域があるとわたしは思っている。
だから、スルーしていた。
たまたまか必然か、2025.3月頃にはお伊勢さん方面に上がらせていただこうと決めていた。
結局のところは、上がらせてもらって、響いてきた音の真偽を確認することも決まっていたようにも思う。
(わたし、ものすごく慎重なのです。)
とにかく、イメージが降ってきて作ったお道具というアイテムを、お伊勢さん方面に上がらせて頂く時に、持っていくために自分用ということで創り上げた。
お伊勢さん方面のわたしが一番上がらせていただきたかったお宮に上がらせて頂いたとき、人為的なのだが、本来開くはずのないお社の扉が開いたのだ。
2回続けて、お社の中を少しですが見せていただけたのだ。(まるで神宮の御簾が風で舞い上がって中が見えるように。)その時のその時間、1分1秒でもお参りの時間がズレていたら、その瞬間には遭遇していない訳で。
そして、お社で『わたしは、神具のようなお道具をつくって、神様や地球や宇宙のお役に立ちたいです。』とお伝えした。
わたしは、生まれたとき、息をしていなかったのですが、産婦人科のすぐ近くに、広大な敷地の神社があり、その神様が命を繋げてくださったのだと、わたしは勝手に思っている。だから、何か神様のお役に立ちたいとずっと思っていたのだ。
(その神社では靈鳥の光り輝く雲を見せていただいたり、広大な敷地につけられた番地と私の名前がリンクするというようなこともあり、点が線になるようなことが多々あり、やっぱり命を繋げてもらったんだと確信するようになった。)
無事に帰省してから、氏神様と、わたしを生かしてくださったと感じている産土の神様にお礼参りに上がらせて頂いた時には、自分が意図せずとも、そんなことがおこるんだとおもったことがおこり、『神具のようなお道具』を創ることに対して背中を押してもらえたように感じ、約半年かけて、創っていいものかどうかを吟味した上で、漸く重い腰をあげて創ることにしたのだ。
そうして創ることにした『神具のようなお道具』は今のところ下記の2つ。
『掌サイズの巫女鈴』
『土地や空間を音を通して整える精麻のお鈴お房飾り』
(※こちらは、両方とも、職人さんが作り上げられた手打ちの本坪鈴を使わせていただいている。それは、そこから奏でられる音が違うからでもあるし、この素晴らしい技術を後世に残していきたい!という氣持ちもあるから。それに、やはり神具のようなお道具を作るにあたっては、やはり、それ相応のより拡大していくような素材を使わせて頂きたいと思うのである。お鈴はお鈴で色んな種類があるけれど、やはり適材適所というものがあると思っている。この手打ちの本坪鈴は、神社でも使われるだけあって、やはり響きが別格なのだ。)
ともに掌サイズのもの。
使い方は、個々によるのだと思う。
わたしは、外出時は『音を通して整える精麻のお鈴お房飾り』は常に持ち歩いており、ベルトに引っ掛けて使っている。手で振るより、體に付けたほうが、自然な振動でとてつもなく美しい音を奏でるのだ。
わたしは、そういう、日常使いがお氣にいりで、體の一部になっている。
神具のようなお道具だからといって、構えて使うのではなく、日常の中で日常使いとして使っていただけたらと思うのである。
『神具のようなお道具』と音が響いてきたのは、2025.4あたりだったと思う。
そんな音が聞こえてきても、やっぱりスルーのわたし。
だって、そんなの作るなんて、とてもじゃないけど畏れ多いじゃないですか…
それに人には、踏み込んでイイ領域と踏み込んではイケナイ領域があるとわたしは思っている。
だから、スルーしていた。
たまたまか必然か、2025.3月頃にはお伊勢さん方面に上がらせていただこうと決めていた。
結局のところは、上がらせてもらって、響いてきた音の真偽を確認することも決まっていたようにも思う。
(わたし、ものすごく慎重なのです。)
とにかく、イメージが降ってきて作ったお道具というアイテムを、お伊勢さん方面に上がらせて頂く時に、持っていくために自分用ということで創り上げた。
お伊勢さん方面のわたしが一番上がらせていただきたかったお宮に上がらせて頂いたとき、人為的なのだが、本来開くはずのないお社の扉が開いたのだ。
2回続けて、お社の中を少しですが見せていただけたのだ。(まるで神宮の御簾が風で舞い上がって中が見えるように。)その時のその時間、1分1秒でもお参りの時間がズレていたら、その瞬間には遭遇していない訳で。
そして、お社で『わたしは、神具のようなお道具をつくって、神様や地球や宇宙のお役に立ちたいです。』とお伝えした。
わたしは、生まれたとき、息をしていなかったのですが、産婦人科のすぐ近くに、広大な敷地の神社があり、その神様が命を繋げてくださったのだと、わたしは勝手に思っている。だから、何か神様のお役に立ちたいとずっと思っていたのだ。
(その神社では靈鳥の光り輝く雲を見せていただいたり、広大な敷地につけられた番地と私の名前がリンクするというようなこともあり、点が線になるようなことが多々あり、やっぱり命を繋げてもらったんだと確信するようになった。)
無事に帰省してから、氏神様と、わたしを生かしてくださったと感じている産土の神様にお礼参りに上がらせて頂いた時には、自分が意図せずとも、そんなことがおこるんだとおもったことがおこり、『神具のようなお道具』を創ることに対して背中を押してもらえたように感じ、約半年かけて、創っていいものかどうかを吟味した上で、漸く重い腰をあげて創ることにしたのだ。
そうして創ることにした『神具のようなお道具』は今のところ下記の2つ。
『掌サイズの巫女鈴』
『土地や空間を音を通して整える精麻のお鈴お房飾り』
(※こちらは、両方とも、職人さんが作り上げられた手打ちの本坪鈴を使わせていただいている。それは、そこから奏でられる音が違うからでもあるし、この素晴らしい技術を後世に残していきたい!という氣持ちもあるから。それに、やはり神具のようなお道具を作るにあたっては、やはり、それ相応のより拡大していくような素材を使わせて頂きたいと思うのである。お鈴はお鈴で色んな種類があるけれど、やはり適材適所というものがあると思っている。この手打ちの本坪鈴は、神社でも使われるだけあって、やはり響きが別格なのだ。)
ともに掌サイズのもの。
使い方は、個々によるのだと思う。
わたしは、外出時は『音を通して整える精麻のお鈴お房飾り』は常に持ち歩いており、ベルトに引っ掛けて使っている。手で振るより、體に付けたほうが、自然な振動でとてつもなく美しい音を奏でるのだ。
わたしは、そういう、日常使いがお氣にいりで、體の一部になっている。
神具のようなお道具だからといって、構えて使うのではなく、日常の中で日常使いとして使っていただけたらと思うのである。