ハンドメイド作品を作るのは楽しい。
石を選んだり、金具を合わせたり、紐の色を考えたり、これはいいぞ、これはちょっと違うぞ、なんて独り言を言いながら手を動かしている時間は、なかなか幸せである。
ところが、できあがった作品を撮影する段階になると、急に世界が厳しくなる。
作品はそこにある。
たしかに、ちゃんとある。
さっきまで自分の手の中で「おお、いいじゃないか」と思っていたものが、カメラを向けた瞬間、なぜか急によそよそしくなる。
あれ、君、そんな顔だったっけ。
肉眼で見るといい雰囲気なのに、写真にするとなんだか違う。光が強すぎたり、暗すぎたり、背景がうるさかったり、影が変なところに出たりする。
フローライトなんて、実物はとてもきれいなのに、写真にするとその透明感がなかなか出ない。光に透かせばいいのか、自然光がいいのか、白い布がいいのか、木の板がいいのか。
考え始めると、もう撮影なのか占いなのかわからなくなる。
少し角度を変える。
また撮る。
作品を動かす。
また撮る。
背景を変える。
また撮る。
スマホの画面を見て、首をひねる。
うーん、違う。
この「うーん、違う」を何回もやる。
作っている時より、撮っている時の方が地味に汗をかいている気がする。
しかも作品撮影は、ただきれいに写ればいいわけではない。
サイズ感も伝えたい。
素材の感じも見せたい。
裏側も見せたい。
金具も見せたい。
傷やくすみも隠しすぎたくない。
でも、見た瞬間に「なんか素敵」と思ってもらいたい。
正直さと雰囲気。
この二つを同時に撮るのが、かなり難しい。
きれいに撮りすぎると、実物より良く見えすぎる気がする。
かといって、雑に撮ると、せっかくの作品がかわいそうになる。
作品に対して申し訳ないような気持ちになるのだ。
ごめん、君は本当はもっといいやつなのに、僕の撮影技術が追いついていない。
そんなことを思いながら、スマホを持ってうろうろする。
窓際に行ったり、机の上を片づけたり、布を敷いたり、またやめたりする。気づけば撮影のために部屋を整えているのか、部屋を散らかしているのか、よくわからない状態になっている。
作品を作る人は、作家であり、職人であり、撮影係であり、照明係であり、背景係であり、文章を書く人でもある。
忙しい。
ひとりで小さな雑誌を作っているようなものだ。
でも、大変だけれど、嫌いではない。
撮影していると、作品のことをもう一度よく見ることになる。
ここ、けっこういいな。
この色の出方、好きだな。
この少し歪んでいるところも、味があるな。
作っている最中には気づかなかった表情が、写真を撮ろうとして初めて見えてくることがある。
そう考えると、作品撮影は販売のためだけではなく、作品ともう一度向き合う時間なのかもしれない。
とはいえ、大変なものは大変である。
できれば作品の方から「この角度が一番いいですよ」と教えてほしい。
フローライトなら、少し光りながら。
ボロタイなら、静かに首をかしげながら。
でも、もちろん教えてはくれない。
だから今日も、僕は作品を置いて、少し離れて、また近づいて、スマホを構える。
うーん、違う。
そう言いながら、もう一枚撮る。
その一枚が、誰かの目に留まるかもしれない。
そう思うと、少しだけ背筋が伸びる。
作品撮影って、本当に大変ね。
でも、作品がちゃんと旅立つための、最初の身支度みたいなものなのだと思う。