現在、作者が外出の際首に下げている勾玉です。
この勾玉を着けている白髪の男性を見掛けられましたら、どうかお気楽にお声掛け下さい。
新興宗教の教祖では有りませんので決して勾玉を売りつけることは致しません。 念のため!!!
但し、ヒスイ拾いの話になりましたら止まりませんのでお時間がある時がよろしいか、、、と思います。
お守りとして行動を共にしてくれたそれぞれの勾玉の説明をさせて頂きます。
左側の勾玉
1番と付けましたが、この子が最初に制作した子です。
1994年、1995年、1996年とアメリカ、ドイツフランクフルトの出張に同行してくれました。
2000年6月のスイス出張では、出張先でのトラブルで、試験が延長になり帰りの飛行機がKLMしか無く、その飛行機がヨーロッパ全体のAirTrafficBusyのため2時間遅れ、アムステルダムでのTransitが6-7分しか無くなり空港の地下通路を走りました。私は何とか乗り継げたのですが、私のスーツケースは乗り継ぎ出来ずに3日後に冷凍で帰ってきました。
2001年5月のブラジル出張では、アトランタ発サンパウロ行きの飛行機の7個あるトイレが4個詰まってベネズエラのカラカスに緊急着陸した際タイヤがパンクして1日足止めされました。一歩間違ったらクラッシュするところでした。
中央の勾玉(2番)
2004年後半から私の首に居ます。3番目の子と同時期に加わりました。
この子と3番目の子はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、オランダ、オーストリア、イタリア、ロシアを旅しました。
ロシアでは、後から知ったのですが、サンクトペテルブルグの危ない地域に有るお店に無事行ってきました。
パリもアンティークショップが有るロジェ通りまで無事に行ってきました。
イタリアではミラノでタクシーの中にデイパックを忘れたのですが、無事取り返すことが出来ました。
色調から金山谷翡翠ではないか、と思っていましたが、フォッサマグナミュージアムの相談員の方とお話をさせて頂き、他の相談員10名が10名とも金山谷だと言うのではないか、との事で、珍しい出所のヒスイの様です。
右側の勾玉(3番)
1番の子と同時に原石から切り出したのですが、整形が遅れて駐在から帰ってきてから完成しました。
両側の管玉と勾玉の間のビーズ
米国駐在中にシアトルのPike Place Marketに有る中国人のお店で購入しました。大きいビーズは1個$5、小さいビーズは$1でした。大きいのがえらい安いな、という事でDyed?と聞いたらYesの回答。納得しました。
18年間紫外線にさらすと変色が酷いです。右のほうに予備で保存してあったビーズと比べると、その変色は一目瞭然です。
小さいビーズは染色されていないようです。18年間の紫外線暴露でも色が変わっていません。
翡翠は本来白色です。
2000年頃から白色のヒスイを探しましたが、なかなか納得がいく白に出会えていません。
何とか妥協して白(4番)を加えました。
将来もう1個を加えて5個で私の勾玉を完成するつもりです。
5番目の子が加わりました。ラベンダーヒスイの子です。
この子の原石は、私が師匠と仰ぐ方が小滝川ヨシオ沢の下で採取した原石の割石で、その原石は巨大だったそうで、師匠が細かく割ってそれらが流通したという事が最近分かりました。ラベンダーが美しいがクラックが多くて硬い石です。
ちょっとサイズが大きくて全体のバランスが取れていません。
従って、先輩たちを押しのけて、センターに居ます。
これでバランスは何とか取れています。
現在、作者が外出の際首に下げている勾玉です。
この勾玉を着けている白髪の男性を見掛けられましたら、どうかお気楽にお声掛け下さい。
新興宗教の教祖では有りませんので決して勾玉を売りつけることは致しません。 念のため!!!
但し、ヒスイ拾いの話になりましたら止まりませんのでお時間がある時がよろしいか、、、と思います。
お守りとして行動を共にしてくれたそれぞれの勾玉の説明をさせて頂きます。
左側の勾玉
1番と付けましたが、この子が最初に制作した子です。
1994年、1995年、1996年とアメリカ、ドイツフランクフルトの出張に同行してくれました。
2000年6月のスイス出張では、出張先でのトラブルで、試験が延長になり帰りの飛行機がKLMしか無く、その飛行機がヨーロッパ全体のAirTrafficBusyのため2時間遅れ、アムステルダムでのTransitが6-7分しか無くなり空港の地下通路を走りました。私は何とか乗り継げたのですが、私のスーツケースは乗り継ぎ出来ずに3日後に冷凍で帰ってきました。
2001年5月のブラジル出張では、アトランタ発サンパウロ行きの飛行機の7個あるトイレが4個詰まってベネズエラのカラカスに緊急着陸した際タイヤがパンクして1日足止めされました。一歩間違ったらクラッシュするところでした。
中央の勾玉(2番)
2004年後半から私の首に居ます。3番目の子と同時期に加わりました。
この子と3番目の子はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、オランダ、オーストリア、イタリア、ロシアを旅しました。
ロシアでは、後から知ったのですが、サンクトペテルブルグの危ない地域に有るお店に無事行ってきました。
パリもアンティークショップが有るロジェ通りまで無事に行ってきました。
イタリアではミラノでタクシーの中にデイパックを忘れたのですが、無事取り返すことが出来ました。
色調から金山谷翡翠ではないか、と思っていましたが、フォッサマグナミュージアムの相談員の方とお話をさせて頂き、他の相談員10名が10名とも金山谷だと言うのではないか、との事で、珍しい出所のヒスイの様です。
右側の勾玉(3番)
1番の子と同時に原石から切り出したのですが、整形が遅れて駐在から帰ってきてから完成しました。
両側の管玉と勾玉の間のビーズ
米国駐在中にシアトルのPike Place Marketに有る中国人のお店で購入しました。大きいビーズは1個$5、小さいビーズは$1でした。大きいのがえらい安いな、という事でDyed?と聞いたらYesの回答。納得しました。
18年間紫外線にさらすと変色が酷いです。右のほうに予備で保存してあったビーズと比べると、その変色は一目瞭然です。
小さいビーズは染色されていないようです。18年間の紫外線暴露でも色が変わっていません。
翡翠は本来白色です。
2000年頃から白色のヒスイを探しましたが、なかなか納得がいく白に出会えていません。
何とか妥協して白(4番)を加えました。
将来もう1個を加えて5個で私の勾玉を完成するつもりです。
5番目の子が加わりました。ラベンダーヒスイの子です。
この子の原石は、私が師匠と仰ぐ方が小滝川ヨシオ沢の下で採取した原石の割石で、その原石は巨大だったそうで、師匠が細かく割ってそれらが流通したという事が最近分かりました。ラベンダーが美しいがクラックが多くて硬い石です。
ちょっとサイズが大きくて全体のバランスが取れていません。
従って、先輩たちを押しのけて、センターに居ます。
これでバランスは何とか取れています。