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目 / 眼病 / 金細工職人の守護聖人で、聖クララ会の創始者、アシジの聖クララのメダイネックレスです。
『アシジの聖クララ』
クララは、サッソ=ロッソ伯ファヴォリーノの娘として、アシジで生まれました。
1210年、クララはアシジの路上で、フランチェスコの説教を耳にしました。彼は新たに認可された托鉢修道会について話していて、彼の言葉にクララは心を動かされました。
1212年3月20日、クララの両親は娘を裕福な男に嫁がせることにしたため、クララは家を飛び出し、聖フランチェスコの指導を仰ぎ、修道生活に入り、サン・ダミアーノ教会に住みました。
清貧、貞節、従順の誓いを受け入れた証として髪を短く切り、粗末なチュニックを着て、彼女の生活は祈りと労働を日課としていました。
クララは精神的な父とも仰ぐフランチェスコの助けと励ましを受け、修道会の重要な役割を担いました。そしてクララは1226年にフランチェスコが亡くなるまで、病に伏した彼の世話をしました。
フランチェスコの死後、クララは修道会の成長を助け続け、亡くなるまで長く体調が優れなかったにもかかわらず、役割を果たし続けました。
クララは聖フランチェスコへの忠誠が深く『もう一人のフランチェスコ』(alter Franciscus)と呼ばれています。
1253年8月9日、インノケンティウス4世がクララ会則を承認し、2日後の8月11日、クララは59歳で死にました。
1255年8月15日、アレクサンデル4世はクララをアシジの聖クララとして列聖しました。
生きた時代:1194年-1253年
守護分野:目、眼病、金細工職人、刺繍職人、天気、テレビ、電話
この御メダイは、クララは聖体顕示台や聖体容器箱を抱えている御姿を刻んだものです。これは壁越しに秘跡が掲げられたことによって、修道院の門前にいた襲撃者たちをかわした逸話を記念しています。
メダイ、十字架共にイタリア正規聖品です。
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《メダイ》
アシジの聖クララ 18×18mm
《十字架》
イエス キリスト 10×12mm
《サイズ》
40cm + アジャスター5cm
atelier †Leda†
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目 / 眼病 / 金細工職人の守護聖人で、聖クララ会の創始者、アシジの聖クララのメダイネックレスです。
『アシジの聖クララ』
クララは、サッソ=ロッソ伯ファヴォリーノの娘として、アシジで生まれました。
1210年、クララはアシジの路上で、フランチェスコの説教を耳にしました。彼は新たに認可された托鉢修道会について話していて、彼の言葉にクララは心を動かされました。
1212年3月20日、クララの両親は娘を裕福な男に嫁がせることにしたため、クララは家を飛び出し、聖フランチェスコの指導を仰ぎ、修道生活に入り、サン・ダミアーノ教会に住みました。
清貧、貞節、従順の誓いを受け入れた証として髪を短く切り、粗末なチュニックを着て、彼女の生活は祈りと労働を日課としていました。
クララは精神的な父とも仰ぐフランチェスコの助けと励ましを受け、修道会の重要な役割を担いました。そしてクララは1226年にフランチェスコが亡くなるまで、病に伏した彼の世話をしました。
フランチェスコの死後、クララは修道会の成長を助け続け、亡くなるまで長く体調が優れなかったにもかかわらず、役割を果たし続けました。
クララは聖フランチェスコへの忠誠が深く『もう一人のフランチェスコ』(alter Franciscus)と呼ばれています。
1253年8月9日、インノケンティウス4世がクララ会則を承認し、2日後の8月11日、クララは59歳で死にました。
1255年8月15日、アレクサンデル4世はクララをアシジの聖クララとして列聖しました。
生きた時代:1194年-1253年
守護分野:目、眼病、金細工職人、刺繍職人、天気、テレビ、電話
この御メダイは、クララは聖体顕示台や聖体容器箱を抱えている御姿を刻んだものです。これは壁越しに秘跡が掲げられたことによって、修道院の門前にいた襲撃者たちをかわした逸話を記念しています。
メダイ、十字架共にイタリア正規聖品です。
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《メダイ》
アシジの聖クララ 18×18mm
《十字架》
イエス キリスト 10×12mm
《サイズ》
40cm + アジャスター5cm
atelier †Leda†