インタビュー

ものづくり探訪「特別な“書”を叶える。唯一の江戸筆」

日本には、誇るべき文化や芸術と、それにともなうたくさんの「技術」があります。逸品が生まれる、ものづくりの現場を訪れ、制作の背景や作り手の想いに迫る「ものづくり探訪」。今回向かった先は、書き手が求めるさまざまな線に応えるべく、特注の筆をつくり続ける「江戸筆 鳳竹堂」です。

0から生み出す筆


教科の書道や書き初め大会など、誰しも一度は手にしたことがある「筆」。中でも書の達人たちが使用するこだわりの筆は、職人によって1本ずつ手でつくられているのをご存知でしょうか。今回は筆づくりの匠の元を訪れ、その貴重な制作の様子を見せていただきました。

訪れたのは板橋にある「江戸筆 鳳竹堂」。「よく来たね」とわたしたちを迎えてくれたのは、板橋区の無形文化財でこの道50年の筆匠、佐久間鳳翔さんです。「せっかくだから、いろいろ見ていきなさい」。

店内にはいくつもの種類の筆たちが、四方八方に並んでいました。

「黒くて長い毛を持つこの筆は、何を書くための筆だと思いますか?」と鳳翔さん。

「答えは水彩画の筆。滝を描くのが上手な先生に頼まれてつくったもので、力強い固い線が描けます。筆には”渓流(けいりゅう)”と名付けました」。

鳳翔さんがつくるのは、一般的な問屋向けの筆ではなく、書家や絵師など「書きたいもの」と「書く腕」を持つ人の想いを叶える筆。0からつくった筆には、生みの親として名前を付けるそうです。

これまでにつくってきた筆の種類はなんと、1,000超。江戸文字や相撲文字を書くための筆や、水墨画を描くための筆、唐草模様を描くための筆など、用途に合わせて毛の硬さや長さ、形が絶妙に異なります。たとえば、日本画を描くためつくられた筆は、女性の日本髪を細い1本線で、墨を切らさずに2mほど描けるというから驚きです。

鳳翔さんのもとには、全国から依頼が舞い込み、完成までの1年待ちはざらだといいます。

「何を書くためにどんな筆がほしいのか、わたしと意思疎通ができる人。そして、その筆づくりは面白そうだとわたしが心から思うこと。この2つがそろえば、望む筆をつくってあげますよ」。

時間をかけて、仕込む


そもそも「江戸筆」とは、墨を行き渡らせて根元を崩しても穂先はまとまる、高い技術を持ってつくられた筆のこと。全部でおよそ30以上にもなる制作工程を一人の職人がすべて手がけるというのも特徴なのだそうです。

早速、その工程の一部を見学させていただくべく、通されたのは4階の屋上にある一室。

「ここはいわゆる最初の段階、“筆の仕込み”作業を行う部屋です。熱と乾燥が必要なため、この部屋はすべてブロックでつくられています」。

筆先に使う毛は主に天然のもの。「天然ということは、繊細ということ。一連の流れをとめずに、しっかりと仕込みをしなければいけません」。

天然の毛をじっくりと時間をかけて煮沸し、乾燥させたものを特別に見せていただきました。ヤギの背中や馬の尻尾など、部位ごとに分類する「選別」も工程のひとつ。「この状態だと、毛にまだ艶だあるでしょう。すると、筆にしたときに墨を弾いてしまうんです」。

そこで行われるのが、油分を徹底して取りのぞくために80℃前後の熱を加える「火熨斗(ひのし)」、アクをまぶして揉み込む「毛揉み」です。「毛の油分、水分を取り、逆毛の状態をつくることで、毛と毛の間に墨が溜まるようになります。“墨含みのいい筆”というのはこの作業をしっかり行うことが大切なんですよ」。

仕込みだけでもこの作業量。1本の筆が完成するのには最低でも1ヶ月はかかるといいます。

畳一枚あればいい


1階の作業場へ移動し、より細かな工程へ。

使用する主な道具を見せていただきました。毛の長さを決める部板(ぶいた)、毛を寄せるための金版(かなばん)、毛を細かくとかしたり、混ぜたり、と調整するときに人差し指の代わりのような役割を果たすのが半差し(はんさし)など、どれも自らの手加減で調整をしながら使うものばかり。

「道具は使いながら育てていくもの。ハサミだって、使っていくうちに本物になっていくんですよ」。

ここからは、まさにといわんばかりの手仕事が繰り広げられていきます。

つくる筆に合わせて、さまざまな毛の長さをそろえて硬さやクセなどを均一に混ぜる「練り混ぜ」。半差しを使い毛を均等に分け、押し広げたら、折り畳み、クシですく。これを7、8回繰り返していくと、徐々に美しい1色に仕上がっていきます。

「クシですいたときに、引っかかる毛は何かしらクセがある。曲がってるとか絡んでるとか。これを何回も繰り返すことで、まっすぐな綺麗な毛だけが残る。美しい筆に仕上げるための大事な工程です。こんな風に時間をかけてつくっているなんて知らなかったでしょう」。

いい具合に均一になったら、穂首の根元を麻糸でキュッと縛り上げます。「糸は引っ張ると切れるから、回して締めていくんです。縛り方にもコツがあるんですよ。これはもう絶対にほどけない」。

筆職人には、刷毛職人にはない「束ねてまとめる、寄せる技術」があるのだそうです。

鳳翔さんがひょいと手を伸ばすと、次の材料と道具が待ち構えていたかのように、すぐそこにあらわれます。「なんでも座ってできるようになってるんですよ。いちいち立ち上がってたら、仕事が進まないからね。そのためには何でも工夫をして、自分仕様にすること。筆屋は畳一枚あればいいっていわれたものです」。

釘やクリップ、空き缶や空き箱など、さまざまなものを使い、工夫が散りばめられた作業場。呼吸の間のように、次々と道具を持ち替え、もくもくと手を動かす姿が印象的でした。

続いては「尾締め(おじめ)」。穂首の根元をコテで焼いて、麻糸で締めていく作業です。無音の中、もくもくと煙が立ちこめます。その先には鳳翔さんの真剣な眼差しが。

すすの部分にやすりをかけ、穴を開けた竹と筆先を接着したら、布海苔(ふのり)を溶かした湯桶につけて、仕上げていきます。ちなみに、持ち手の部分に竹を使用するのは、手の汗を吸い取ってくれるためだそう。

糸を器用に使い、1本1本、穂先の形を整えながら、布海苔を落としていきます。すっかり乾いたら江戸筆の完成です。

唯一無二の筆を


数ある筆づくりの工程の中で、いちばん好きな瞬間をうかがってみました。

「どんな筆も最後の最後に、自分が思い描いていた形になったとき、硬さに仕上がったときが最高にうれしい瞬間です。とはいえ、使い勝手を含めてすべての調子を見てこそ。だから作る工程で「満足」することは、まずないだろうけれど」。

そんな鳳翔さんですが、最近、人生を賭けた筆が完成したそう。50年間すこしずつ貯め続けてきた貴重な原毛を使ったその筆は、とにかく「たのしい」に尽きる思いで制作したといいます。

「これからも、まだつくったことのない筆をひたすらにつくり続けていきたいですね。その人だけに価値が生まれる、っていうのがいいじゃない。この筆でどんな字が書けるかなって想像するとわくわくするんだよ」。

まだ見ぬ逸品に想いを馳せ、目を輝かせる職人さんの姿がそこにありました。

鳳竹堂では他にも、赤ちゃんの髪の毛でつくる「赤ちゃん筆」が人気をあつめています。息子さんが生まれたことをきっかけにつくりはじめたという赤ちゃん筆。「赤ん坊の毛は産毛だから、毛量や長さが足りなければつくれません。とてもむずかしいんだけれど、ひとりひとり色も形も違うから、つくる作業は本当におもしろいんです。みなさんにとっても、一生もんの記念になりますよ」。持ち手には名前を刻印し、木箱に納めてくれます。気になるという方はぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか。

次回の探訪もおたのしみに。

江戸筆 鳳竹堂
住所:板橋区板橋3-40-17
電話:03-3964-7230
営業時間:10:00~18:00
定休日:不定休
URL:http://www.houchikudo.com/
取材・文 / 西巻香織   撮影 / 真田英幸
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