作品説明
東日本大震災直後に自転車繋がりからの誘いで通い始めた南三陸町歌津地区。
いずれ無くなってしまう仮設店舗などをイラストにしています。
「あおぞら食堂」
最初はテントで、その後トレーラーハウスで、まだあまり食堂が再開されていなかったときにラーメンを格安で提供していました。R45沿いの平成の森の下にあったときのもの。私も大分お世話になりました。閉店前にはお店の方に会うためと、美味しいラーメン食べに行きました。地元の方の営業ではなく、ボランティアの方の営業でした。地元に溶け込んでいてみんなから愛されているラーメン屋さんでしたが、地元店舗も少しずつ再開し始めた2012年11月に惜しまれつつ閉店しました。
「青空山海市」
こちらもまだ歌津地区にあまり買い物をするところがなかった頃、地元の漁師のおっちゃんや畑をやっているおばちゃんたち(2010年晩秋まで歌津で産直をやっていたとのことだったと思う)がテントで野菜や魚や、内陸から仕入れてきたお菓子などを売っていました。手描きの看板は震災以降、今もウクレレで東北を応援しているハンサム判治さん(歌手)が描いたもの。この山海市をやっていた大将が「看板描いてよ」と拾ったベニヤ板を持って来たのでした。こちらも2013年春頃に役目を終え、今では「みなさん館」というR45沿いにある産直になっています。
「熊三商店」
震災直後、早くから高台の倉庫を借りて営業していた金物や農機具、漁具関係等を扱うお店。2014年春、田束山へ向かう道沿いに移転。今でもとてもお世話になっています。
「佐信輪業商会」
R45沿いにあるオートバイ、自転車、クルマ(スズキ)の販売修理を行うお店。
こちらもとてもお世話になっているお店です。
「二階堂機械店」
R45沿いにある農機具、船外機、自転車、オートバイなどの修理販売を行うお店。
こちらも歌津へ行くと訪ねているお店です。
仮設店舗での営業をしていて今もがんばっているお店、今では無くなってしまったお店など、どのお店も歌津へ通っているうちに親しくさせていただき、今でも遊びに行くと寄ってお茶などさせていただいたりしています。私にとって歌津は実のふるさとではないのですが、大切な町や会いたい人がいる町になっていることは間違いありません。
東日本大震災直後に自転車繋がりからの誘いで通い始めた南三陸町歌津地区。
いずれ無くなってしまう仮設店舗などをイラストにしています。
「あおぞら食堂」
最初はテントで、その後トレーラーハウスで、まだあまり食堂が再開されていなかったときにラーメンを格安で提供していました。R45沿いの平成の森の下にあったときのもの。私も大分お世話になりました。閉店前にはお店の方に会うためと、美味しいラーメン食べに行きました。地元の方の営業ではなく、ボランティアの方の営業でした。地元に溶け込んでいてみんなから愛されているラーメン屋さんでしたが、地元店舗も少しずつ再開し始めた2012年11月に惜しまれつつ閉店しました。
「青空山海市」
こちらもまだ歌津地区にあまり買い物をするところがなかった頃、地元の漁師のおっちゃんや畑をやっているおばちゃんたち(2010年晩秋まで歌津で産直をやっていたとのことだったと思う)がテントで野菜や魚や、内陸から仕入れてきたお菓子などを売っていました。手描きの看板は震災以降、今もウクレレで東北を応援しているハンサム判治さん(歌手)が描いたもの。この山海市をやっていた大将が「看板描いてよ」と拾ったベニヤ板を持って来たのでした。こちらも2013年春頃に役目を終え、今では「みなさん館」というR45沿いにある産直になっています。
「熊三商店」
震災直後、早くから高台の倉庫を借りて営業していた金物や農機具、漁具関係等を扱うお店。2014年春、田束山へ向かう道沿いに移転。今でもとてもお世話になっています。
「佐信輪業商会」
R45沿いにあるオートバイ、自転車、クルマ(スズキ)の販売修理を行うお店。
こちらもとてもお世話になっているお店です。
「二階堂機械店」
R45沿いにある農機具、船外機、自転車、オートバイなどの修理販売を行うお店。
こちらも歌津へ行くと訪ねているお店です。
仮設店舗での営業をしていて今もがんばっているお店、今では無くなってしまったお店など、どのお店も歌津へ通っているうちに親しくさせていただき、今でも遊びに行くと寄ってお茶などさせていただいたりしています。私にとって歌津は実のふるさとではないのですが、大切な町や会いたい人がいる町になっていることは間違いありません。