寒くなってきましたね♪
今週は雪が降るかもしれませんね~
寒いと體が縮こまってしまっちゃいますよね?
心だけでも暖かい気持ちになりませんか?
「雪は天から送られた手紙」世界で初めて人工雪を作った中谷博士の夢とロマン
〇札幌赴任をきっかけに本格的な雪の研究に取り組む
中谷宇吉郎は明治33(1900)年、雪国石川県に生まれました。高校卒業後、東京帝国大学理学部物理学科に入学。物理学者・寺田寅彦に師事します。寺田寅彦は「吉村冬彦」という筆名で随筆も数多く残し、夏目漱石の弟子だった人物です。文筆家としての中谷宇吉郎は、漱石の孫弟子ということになります。
電気火花の研究を専門にしていた中谷宇吉郎が雪の魅力にとりつかれたのは昭和5(1930)年、北海道大学理学部の助教授として、札幌に赴任してからのことです。
アメリカで『Snow Crystals』という1冊の写真集。ウィルソン・ベントレーというアマチュア研究家が、雪の結晶の美しい写真に世界中が魅了され、中谷博士もベントレーの結晶写真に感動しまし、日本でも雪の研究ができないかと考えるきっかけになったのです。
博士はまず、札幌にある大学の、廊下の片隅で結晶の観察を始めました。その結果、日本に降る雪の結晶はとても種類が多いことがわかってきました。さらに研究を深めたいと考えた中谷博士は、翌年の冬から、札幌から150kmほど内陸にある十勝岳の山小屋を借りて、本格的な観察を始めます。
北海道の奥地遠く人煙を離れた十勝岳の中腹では、風のない夜は全くの沈黙と暗黒の世界である。その闇の中を頭上だけ一部分懐中電燈の光で区切って、その中を何時(いつ)までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、いつの間にか自分の身体が静かに空へ浮き上って行くような錯覚が起きて来る。(中谷宇吉郎『雪』より)
十勝岳のような所では、零下十度以下の戸外で数時間もの連続観測をするのであるから、生易しいことではないのである。或る時などは、観測をし始めたら珍らしい雪が沢山降って来て、それが何時までも断続しながら続いて、とうとう十時間の連続観測をしなくてはならないことになってしまった日もあった。(中谷宇吉郎『雪』より)
過酷な環境の中、中谷博士は学生たちと一緒に毎冬山にこもり、3,000枚以上の結晶写真を撮影しました。さらに撮った写真を「針状」「樹枝状」など形状によって分類。雪の結晶の謎を解き明かしていきます。
研究を続けるうち、博士はいつしか「雪が人工で出来ないものだろうか」と考えるようになりました。
試行錯誤の末、霜の結晶を作ることに成功した中谷博士は、霜の性質を詳しく分析し、いよいよ雪の結晶作りに取り組み始めます。ちょうどそのころ、昭和10(1935)年、北海道大学に「常時低温研究室」という施設が完成します。8畳ほどのスペースで、1年中氷点下50℃までの室温を保つことができるという、雪の研究にとっては理想的な実験室です。
体を守るため、実験室に入るときには、「毛皮の防寒服、防寒頭巾、防寒靴及び手袋」というものものしい装備を身に着けます。雪の結晶のように小さく繊細なものを研究するには動きにくく、作業はなかなか捗らなかったようです。
霜はガラスや金属にくっついて出来上がりますが、雪は天から降ってくるものです。実験室で「天空から数時間かけて落ちてくる」のとなるべく近い条件を再現するため、中谷博士は試行錯誤を繰り返します。糸で吊るしたような形で結晶を作ろうと、繊維に氷の結晶をつけて発達させる方法を考えますが、なかなかうまくいきません。いろいろな繊維を試す中で、博士は「ウサギの毛」に目をつけました。ウサギのお腹に生える、極細の毛をよく乾かしてそこに結晶の「核」を作ると、雪の結晶がきれいに成長する
ことがわかったのです。
こうして中谷博士のチームは、昭和11(1936)年、世界で初めて実験室で雪の結晶を作ることに成功しました。その後も温度や装置などを工夫して、700種類ものさまざまな結晶を作り出します。
〇中谷博士が残した「暗号解読表」
中谷博士が、結晶研究の道のりを書き記した名著『雪』(岩波文庫)は、次のような言葉で結ばれています。
このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである。(中谷宇吉郎『雪』より)
天からの手紙は暖かいメッセージなのかもしれませんね♪
寒くなってきましたね♪
今週は雪が降るかもしれませんね~
寒いと體が縮こまってしまっちゃいますよね?
心だけでも暖かい気持ちになりませんか?
「雪は天から送られた手紙」世界で初めて人工雪を作った中谷博士の夢とロマン
〇札幌赴任をきっかけに本格的な雪の研究に取り組む
中谷宇吉郎は明治33(1900)年、雪国石川県に生まれました。高校卒業後、東京帝国大学理学部物理学科に入学。物理学者・寺田寅彦に師事します。寺田寅彦は「吉村冬彦」という筆名で随筆も数多く残し、夏目漱石の弟子だった人物です。文筆家としての中谷宇吉郎は、漱石の孫弟子ということになります。
電気火花の研究を専門にしていた中谷宇吉郎が雪の魅力にとりつかれたのは昭和5(1930)年、北海道大学理学部の助教授として、札幌に赴任してからのことです。
アメリカで『Snow Crystals』という1冊の写真集。ウィルソン・ベントレーというアマチュア研究家が、雪の結晶の美しい写真に世界中が魅了され、中谷博士もベントレーの結晶写真に感動しまし、日本でも雪の研究ができないかと考えるきっかけになったのです。
博士はまず、札幌にある大学の、廊下の片隅で結晶の観察を始めました。その結果、日本に降る雪の結晶はとても種類が多いことがわかってきました。さらに研究を深めたいと考えた中谷博士は、翌年の冬から、札幌から150kmほど内陸にある十勝岳の山小屋を借りて、本格的な観察を始めます。
北海道の奥地遠く人煙を離れた十勝岳の中腹では、風のない夜は全くの沈黙と暗黒の世界である。その闇の中を頭上だけ一部分懐中電燈の光で区切って、その中を何時(いつ)までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、いつの間にか自分の身体が静かに空へ浮き上って行くような錯覚が起きて来る。(中谷宇吉郎『雪』より)
十勝岳のような所では、零下十度以下の戸外で数時間もの連続観測をするのであるから、生易しいことではないのである。或る時などは、観測をし始めたら珍らしい雪が沢山降って来て、それが何時までも断続しながら続いて、とうとう十時間の連続観測をしなくてはならないことになってしまった日もあった。(中谷宇吉郎『雪』より)
過酷な環境の中、中谷博士は学生たちと一緒に毎冬山にこもり、3,000枚以上の結晶写真を撮影しました。さらに撮った写真を「針状」「樹枝状」など形状によって分類。雪の結晶の謎を解き明かしていきます。
研究を続けるうち、博士はいつしか「雪が人工で出来ないものだろうか」と考えるようになりました。
試行錯誤の末、霜の結晶を作ることに成功した中谷博士は、霜の性質を詳しく分析し、いよいよ雪の結晶作りに取り組み始めます。ちょうどそのころ、昭和10(1935)年、北海道大学に「常時低温研究室」という施設が完成します。8畳ほどのスペースで、1年中氷点下50℃までの室温を保つことができるという、雪の研究にとっては理想的な実験室です。
体を守るため、実験室に入るときには、「毛皮の防寒服、防寒頭巾、防寒靴及び手袋」というものものしい装備を身に着けます。雪の結晶のように小さく繊細なものを研究するには動きにくく、作業はなかなか捗らなかったようです。
霜はガラスや金属にくっついて出来上がりますが、雪は天から降ってくるものです。実験室で「天空から数時間かけて落ちてくる」のとなるべく近い条件を再現するため、中谷博士は試行錯誤を繰り返します。糸で吊るしたような形で結晶を作ろうと、繊維に氷の結晶をつけて発達させる方法を考えますが、なかなかうまくいきません。いろいろな繊維を試す中で、博士は「ウサギの毛」に目をつけました。ウサギのお腹に生える、極細の毛をよく乾かしてそこに結晶の「核」を作ると、雪の結晶がきれいに成長する
ことがわかったのです。
こうして中谷博士のチームは、昭和11(1936)年、世界で初めて実験室で雪の結晶を作ることに成功しました。その後も温度や装置などを工夫して、700種類ものさまざまな結晶を作り出します。
〇中谷博士が残した「暗号解読表」
中谷博士が、結晶研究の道のりを書き記した名著『雪』(岩波文庫)は、次のような言葉で結ばれています。
このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである。(中谷宇吉郎『雪』より)
天からの手紙は暖かいメッセージなのかもしれませんね♪