※販売作品ではなくレター纏めページです
前回(ログ1)
→ https://minne.com/items/43043973
・・・
1・【ラナのこと】
童話や有名な作品での人魚の物語は沢山ありますが、最も思い浮かぶあらすじは
「人魚の女の子が人間の男性に恋をして、自身も人間となり恋を成就させてめでたしめでたし」
というものではないでしょうか
多少バージョンが違えど、男女間の恋愛(悲恋含む)が根底にあるものが多いかと思います
勿論それはロマンチックで、とても素晴らしいもの
幸せな恋は見ている方まで幸せになります
しかし、作者が人魚のモチーフで表現したかった事はそれとは少し異なっていました
“夢見る人魚”のタイトルの通り、ラナは夢見る少女です
自分の住む世界とは別の世界の様々な事に興味を持ち、特に“人間の女の子だったら叶った事”により強く惹かれます
素敵なドレスを着る事、それに似合う靴を履いて、波の音とは全く違う心踊る音楽に合わせて踊ること…
お化粧だって出来るし、可愛らしい絵の入った本も読める
甘いお菓子と美味しいお茶をいっぱいに詰めたバスケットを持って、暖かな芝生に寝転んで友達と秘密のお喋りをしたり…そういうものを望んだのです
勿論恋愛に対する憧れもあったのでしょうが、それは彼女にとって“陸でしか出来ない事”ではなかったのです
ラナは、人魚としての一生では叶わない事全てに憧れ、夢見ていたのです
絶対に叶わぬ願いを強く持つ者は、あまり幸せな一生を送るとはいえないのかも知れません。どんなに焦がれても欲しいものは全て手に入らないのです
例え他人がどれ程羨むものを得ても、それは全て当人にとっては偽物。本心から望むものの代替品、イミテーションでしかありません
ラナはラナである限り、心から幸せを感じられない一生が確定していたのです
作者はそういった、自分の中にある“決して叶わぬ願いを死ぬまで持つ”という要素の一片を、ラナというキャラクターとして登場させました
そういった要素は程度の差さえあれど、どのような人の心にも存在するのではないでしょうか
大半の人はそんな願いを持ちつつもどこかで折り合いを付け、身の丈に合う“幸せ”を求め、叶え、そして死んでいくのでしょう
しかし中には身を滅ぼす程に頑として、己の絶対的な理想を、現実では絶対に叶わぬ願いを心に持ち続ける人も確かにいます
それは罪ではないけれど、自分で自分の首を締め続けるようなものではないのか…
そしてその事を理解してはいても、自分にはどうにもできない苦しみ…
ラナというキャラクターは、そういう心の機微から生まれたのです
・・・・・
2・【メルのこと】
浜辺に1人で住む彼女にはひとつ、多くの人とは違う所があります
メルの片足は義足でした。とても精巧なそれは、普通の足と同じように動かす事ができます。走ったり跳ねたり、軽やかに踊る事だって出来るのです
そして彼女は左足をそうやって自由に動かす為に、本当に多くの努力を積み重ねました
しかしそんな彼女を、彼女が生まれ育った村の人々は嫌いました。理由は簡単です。自分達とは違うからです
勿論、この足を作った職人は歯車の街で働き、他にも数え切れない程の義足や義手等を作っています
そして必要としている人々からとても重宝され、感謝されていたのです
歯車の街は様々な人、人ならざるもの達も共に息づく街
義手や義足は生活の一部。足りなければ補えば良い。困っているなら解決する。そうして様々な技術や魔術が発展し、栄えた街です
しかし、彼女が育った所はそうではありませんでした
彼女がまた歩けるようにと、必死の願いを込めて新たな足を職人から購入し娘の努力を支えてきた両親と共に、メルはとても悲しい気持ちで村を出ました
それから浜辺の小さな家でしばらく暮らしていた3人でしたが、両親はある時事故で亡くなってしまいました
大切な人を2人も同時に失ったメルは途方に暮れ、涙も涸れ果ててぼんやりと日々を過ごしていました
それでも、人生は一瞬も待ってはくれません
海沿いに暮らす数人の優しい人たちは、1人で暮らす女の子が困らないよう手助けをしつつも、メルの事が心配でなりません
ある満月の晩、メルは浜辺を歩いていました。少し落ち着きはしましたが、何となく暖かなベッドでは眠れない
そんな気持ちの夜でした
そして、メルとラナは出会いました
夜の砂浜に倒れている、自分と同じ年頃の女の子。しかもその子は喋る事ができないようなのです
メルは思いました。お父さんとお母さんなら、どうしただろう…
「困っているのね。うちに来るといいわ」
メルはこういうバックボーンのあるキャラクターでした
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1・【ラナのこと】
童話や有名な作品での人魚の物語は沢山ありますが、最も思い浮かぶあらすじは
「人魚の女の子が人間の男性に恋をして、自身も人間となり恋を成就させてめでたしめでたし」
というものではないでしょうか
多少バージョンが違えど、男女間の恋愛(悲恋含む)が根底にあるものが多いかと思います
勿論それはロマンチックで、とても素晴らしいもの
幸せな恋は見ている方まで幸せになります
しかし、作者が人魚のモチーフで表現したかった事はそれとは少し異なっていました
“夢見る人魚”のタイトルの通り、ラナは夢見る少女です
自分の住む世界とは別の世界の様々な事に興味を持ち、特に“人間の女の子だったら叶った事”により強く惹かれます
素敵なドレスを着る事、それに似合う靴を履いて、波の音とは全く違う心踊る音楽に合わせて踊ること…
お化粧だって出来るし、可愛らしい絵の入った本も読める
甘いお菓子と美味しいお茶をいっぱいに詰めたバスケットを持って、暖かな芝生に寝転んで友達と秘密のお喋りをしたり…そういうものを望んだのです
勿論恋愛に対する憧れもあったのでしょうが、それは彼女にとって“陸でしか出来ない事”ではなかったのです
ラナは、人魚としての一生では叶わない事全てに憧れ、夢見ていたのです
絶対に叶わぬ願いを強く持つ者は、あまり幸せな一生を送るとはいえないのかも知れません。どんなに焦がれても欲しいものは全て手に入らないのです
例え他人がどれ程羨むものを得ても、それは全て当人にとっては偽物。本心から望むものの代替品、イミテーションでしかありません
ラナはラナである限り、心から幸せを感じられない一生が確定していたのです
作者はそういった、自分の中にある“決して叶わぬ願いを死ぬまで持つ”という要素の一片を、ラナというキャラクターとして登場させました
そういった要素は程度の差さえあれど、どのような人の心にも存在するのではないでしょうか
大半の人はそんな願いを持ちつつもどこかで折り合いを付け、身の丈に合う“幸せ”を求め、叶え、そして死んでいくのでしょう
しかし中には身を滅ぼす程に頑として、己の絶対的な理想を、現実では絶対に叶わぬ願いを心に持ち続ける人も確かにいます
それは罪ではないけれど、自分で自分の首を締め続けるようなものではないのか…
そしてその事を理解してはいても、自分にはどうにもできない苦しみ…
ラナというキャラクターは、そういう心の機微から生まれたのです
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2・【メルのこと】
浜辺に1人で住む彼女にはひとつ、多くの人とは違う所があります
メルの片足は義足でした。とても精巧なそれは、普通の足と同じように動かす事ができます。走ったり跳ねたり、軽やかに踊る事だって出来るのです
そして彼女は左足をそうやって自由に動かす為に、本当に多くの努力を積み重ねました
しかしそんな彼女を、彼女が生まれ育った村の人々は嫌いました。理由は簡単です。自分達とは違うからです
勿論、この足を作った職人は歯車の街で働き、他にも数え切れない程の義足や義手等を作っています
そして必要としている人々からとても重宝され、感謝されていたのです
歯車の街は様々な人、人ならざるもの達も共に息づく街
義手や義足は生活の一部。足りなければ補えば良い。困っているなら解決する。そうして様々な技術や魔術が発展し、栄えた街です
しかし、彼女が育った所はそうではありませんでした
彼女がまた歩けるようにと、必死の願いを込めて新たな足を職人から購入し娘の努力を支えてきた両親と共に、メルはとても悲しい気持ちで村を出ました
それから浜辺の小さな家でしばらく暮らしていた3人でしたが、両親はある時事故で亡くなってしまいました
大切な人を2人も同時に失ったメルは途方に暮れ、涙も涸れ果ててぼんやりと日々を過ごしていました
それでも、人生は一瞬も待ってはくれません
海沿いに暮らす数人の優しい人たちは、1人で暮らす女の子が困らないよう手助けをしつつも、メルの事が心配でなりません
ある満月の晩、メルは浜辺を歩いていました。少し落ち着きはしましたが、何となく暖かなベッドでは眠れない
そんな気持ちの夜でした
そして、メルとラナは出会いました
夜の砂浜に倒れている、自分と同じ年頃の女の子。しかもその子は喋る事ができないようなのです
メルは思いました。お父さんとお母さんなら、どうしただろう…
「困っているのね。うちに来るといいわ」
メルはこういうバックボーンのあるキャラクターでした
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