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虐待、貧乏、身体障害者、病気の守護聖人で、困難な状況を強い信心を持って生き抜いた不知躯体の聖人、聖ジェルメーヌ・クザンのメダイネックレスです✧*。
†聖ジェルメーヌ・クザン(St.Germaine Cousin)
ジェルメーヌは南フランスの農家に生まれました。生まれつき右手が変形しており、病弱であったために瘰癧(るいれき)に罹るという過酷な状況の上、幼い時に母を亡くしました。
父は再婚しましたが、父から愛情を注がれず、継母からも疎まれて、殴打や熱湯をかけられる等の虐待を受け、9歳からは羊飼いとして働かせられ、家から追い出され納屋の藁の上で眠りました。
羊番をしている時には糸から結って作ったロザリオでお祈りをしました。ミサには必ず出席していましたが、その間も羊達が逃げたり狼に襲われた事はありませんでした。
また近所の子供たちを集めて教理問答を教えたり、パンと水だけの貧しい食事のなかから、空腹な子供にパンを分け与えました。
ある日継母が、ジェルメーヌが盗んだパンをエプロンに隠していると責め、棒で叩こうとしました。彼女がエプロンを広げると、時は真冬であったのに、夏の花がこぼれおちました。
村人達はジェルメーヌを小馬鹿にしていましたが、やがて信心深いジェルメーヌの聖性に打たれ、彼女を聖女として敬うようになりました。
すると父は継母がジェルメーヌを苛めることを禁じ、彼女にまともなベッドで眠るよう勧めましたが、ジェルメーヌはこれを断って、従来通りの生活を続けました。
1601年、22歳の時にジェルメーヌは葡萄の小枝の寝床で亡くなりました。
ジェルメーヌの遺体はピブラックの聖堂内、説教壇の前に埋葬されました。
1644年に墓所が開かれた際、ジェルメーヌの遺体がまったく腐敗していないことが判明しました。
1854年5月7日に列福
1867年6月29日に列聖
生きていた年代:1579年-1601年
祝日:6月15日
守護分野:虐待、貧乏、身体障害者、病気
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《メダイ》
聖ジェルメーヌ・クザン 15×20mm
《十字架》
イエス キリスト 10×12mm
《サイズ》
40cm + アジャスター5cm
atelier †Leda†
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虐待、貧乏、身体障害者、病気の守護聖人で、困難な状況を強い信心を持って生き抜いた不知躯体の聖人、聖ジェルメーヌ・クザンのメダイネックレスです✧*。
†聖ジェルメーヌ・クザン(St.Germaine Cousin)
ジェルメーヌは南フランスの農家に生まれました。生まれつき右手が変形しており、病弱であったために瘰癧(るいれき)に罹るという過酷な状況の上、幼い時に母を亡くしました。
父は再婚しましたが、父から愛情を注がれず、継母からも疎まれて、殴打や熱湯をかけられる等の虐待を受け、9歳からは羊飼いとして働かせられ、家から追い出され納屋の藁の上で眠りました。
羊番をしている時には糸から結って作ったロザリオでお祈りをしました。ミサには必ず出席していましたが、その間も羊達が逃げたり狼に襲われた事はありませんでした。
また近所の子供たちを集めて教理問答を教えたり、パンと水だけの貧しい食事のなかから、空腹な子供にパンを分け与えました。
ある日継母が、ジェルメーヌが盗んだパンをエプロンに隠していると責め、棒で叩こうとしました。彼女がエプロンを広げると、時は真冬であったのに、夏の花がこぼれおちました。
村人達はジェルメーヌを小馬鹿にしていましたが、やがて信心深いジェルメーヌの聖性に打たれ、彼女を聖女として敬うようになりました。
すると父は継母がジェルメーヌを苛めることを禁じ、彼女にまともなベッドで眠るよう勧めましたが、ジェルメーヌはこれを断って、従来通りの生活を続けました。
1601年、22歳の時にジェルメーヌは葡萄の小枝の寝床で亡くなりました。
ジェルメーヌの遺体はピブラックの聖堂内、説教壇の前に埋葬されました。
1644年に墓所が開かれた際、ジェルメーヌの遺体がまったく腐敗していないことが判明しました。
1854年5月7日に列福
1867年6月29日に列聖
生きていた年代:1579年-1601年
祝日:6月15日
守護分野:虐待、貧乏、身体障害者、病気
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《メダイ》
聖ジェルメーヌ・クザン 15×20mm
《十字架》
イエス キリスト 10×12mm
《サイズ》
40cm + アジャスター5cm
atelier †Leda†