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癌患者の守護聖人『聖ペレグリン』の聖遺物入り御メダイで作ったキーホルダーです✧*。
† 聖ペレグリン †
(St. Peregrine Laziosi、Pellegrino)
◆年代:1260年 - 1345年5月1日
◆守護分野:癌、皮膚病、エイズ、病者の保護者
ペレグリン・ラツィオーシは1260年に、イタリア、ロマーニャ州のフォルリという市で、裕福な家庭の一人息子として生まれました。
若い頃は無法者で聖フィリポの演説を中断させ、修道士たちにひどいことをしたりしました。
しかしペレグリンはそのような行動を恥じて回心し、ある日目の前に現れた聖母マリアの「シエナに向かいなさい」という言葉に従います。
シエナでの熱心な修行の末、やがて司祭となったペレグリンに課せられた最初の仕事は、フォルリに戻り新たな修道院をつくることでした。
若い頃無法者として過ごした故郷に、修道院の創立者として戻ることになったのです。修道院の建設をすすめる傍ら(1308年完成)、ペレグリンは、病人たち、貧しい人々、社会の周縁にいる人々に献身的に奉仕しました。
そんな苦行を続けていたせいか、ペレグリンの足に悪性腫瘍ができました。
彼はこの苦しみをできるかぎり隠しとおしました。
これ以上隠しきれなくなった時には、病気はもうだいぶ進行していました。足を切断するしか治療の手だてはなさそうでした。
医師たちは手術の日取りを決めました。
ペレグリンは足を引きずって聖堂へ行くと、キリスト磔刑像が描かれた絵画の前で「わたしの腫瘍を治し、傷と痛みをお取り除きください」と祈りました。すると信じられないことが起こりました。十字架の像が前にかがみ、そっとペレグリンの傷に触れると、その瞬間、病は癒されたのです。
この奇跡により、誰からともなく彼を”聖人”と呼ぶようになりました。
ペレグリンはさらに20年を生き、1345年5月1日に80歳で亡くなりました。
1702年9月11日、列福。
1726年12月27日、列聖。
《使用アイテム》
聖ペレグリン 20×15mm
十字架 40×25mm
樹脂パール 他
《サイズ》
全長約12.5cm
atelier †Leda†
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癌患者の守護聖人『聖ペレグリン』の聖遺物入り御メダイで作ったキーホルダーです✧*。
† 聖ペレグリン †
(St. Peregrine Laziosi、Pellegrino)
◆年代:1260年 - 1345年5月1日
◆守護分野:癌、皮膚病、エイズ、病者の保護者
ペレグリン・ラツィオーシは1260年に、イタリア、ロマーニャ州のフォルリという市で、裕福な家庭の一人息子として生まれました。
若い頃は無法者で聖フィリポの演説を中断させ、修道士たちにひどいことをしたりしました。
しかしペレグリンはそのような行動を恥じて回心し、ある日目の前に現れた聖母マリアの「シエナに向かいなさい」という言葉に従います。
シエナでの熱心な修行の末、やがて司祭となったペレグリンに課せられた最初の仕事は、フォルリに戻り新たな修道院をつくることでした。
若い頃無法者として過ごした故郷に、修道院の創立者として戻ることになったのです。修道院の建設をすすめる傍ら(1308年完成)、ペレグリンは、病人たち、貧しい人々、社会の周縁にいる人々に献身的に奉仕しました。
そんな苦行を続けていたせいか、ペレグリンの足に悪性腫瘍ができました。
彼はこの苦しみをできるかぎり隠しとおしました。
これ以上隠しきれなくなった時には、病気はもうだいぶ進行していました。足を切断するしか治療の手だてはなさそうでした。
医師たちは手術の日取りを決めました。
ペレグリンは足を引きずって聖堂へ行くと、キリスト磔刑像が描かれた絵画の前で「わたしの腫瘍を治し、傷と痛みをお取り除きください」と祈りました。すると信じられないことが起こりました。十字架の像が前にかがみ、そっとペレグリンの傷に触れると、その瞬間、病は癒されたのです。
この奇跡により、誰からともなく彼を”聖人”と呼ぶようになりました。
ペレグリンはさらに20年を生き、1345年5月1日に80歳で亡くなりました。
1702年9月11日、列福。
1726年12月27日、列聖。
《使用アイテム》
聖ペレグリン 20×15mm
十字架 40×25mm
樹脂パール 他
《サイズ》
全長約12.5cm
atelier †Leda†