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別名『懺悔王』という呼び名で有名なイングランド国王で、殉教せずに迫害に屈せず信仰を貫いた”証聖者王”、聖エドワードのメダイネックレスです。
† 聖エドワード † (St. Edward)
エドワードは、イングランド王エゼルレッド2世の子として生まれました。
1013年にイングランドがデーン人カヌートによって征服されたので、幼くして母エマの故郷ノルマンディーの宮廷に亡命し、4半世紀をそこの修道士達と過ごし、ノルマンディーの風習に馴染みました。
1042年、エドワードはデーン人を撃退したイングランドの国民からイングランド王として迎えられ、即位しました。エドワード王はカトリックの信仰を広め、数々の教会・修道院を建て直したりしました。
またイングランドの教会とローマ教皇との関係改善に務め、教皇レオ9世の下での教会会議に司教を派遣したり、教皇使節を受け入れたりしました。政治的にも慈善事業など国家の再建に力を注ぎ、安定した良い政治を行いました。
エドワード王は慈悲深く、祈りの精神を大切にし、いつも罪を悔い、ゆるしの秘跡を熱心に受けたので、『懺悔王』『告解王』と呼ばれました。
1045年に結婚した妻エディスとは、形式として婚姻関係を結んだにすぎず、エドワード自身は修道士としての純潔にこだわり、エディスとは兄妹のように暮らしたので、世継ぎはいませんでした。
跡継ぎになったのは妻エディスの兄弟であるハロルド2世。しかしノルマンディー公ギヨーム2世にとって変わったので、エドワード王はイングランド最後のアングロサクソン王といわれています。
ロンドンにあるウェストミンスター寺院はエドワードが建てたもので、ヘンリー3世以降イギリス王の戴冠式の場となり、歴代の王の墓所となっています。
生きていた年代:1003年 - 1066年
祝日:10月13日
守護分野:困難な結婚 / 別れた配偶者 / 王朝
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《メダイ》
聖エドワード 20×15mm
《十字架》
イエス キリスト 10×12mm
《サイズ》
40cm + アジャスター5cm
atelier †Leda†
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別名『懺悔王』という呼び名で有名なイングランド国王で、殉教せずに迫害に屈せず信仰を貫いた”証聖者王”、聖エドワードのメダイネックレスです。
† 聖エドワード † (St. Edward)
エドワードは、イングランド王エゼルレッド2世の子として生まれました。
1013年にイングランドがデーン人カヌートによって征服されたので、幼くして母エマの故郷ノルマンディーの宮廷に亡命し、4半世紀をそこの修道士達と過ごし、ノルマンディーの風習に馴染みました。
1042年、エドワードはデーン人を撃退したイングランドの国民からイングランド王として迎えられ、即位しました。エドワード王はカトリックの信仰を広め、数々の教会・修道院を建て直したりしました。
またイングランドの教会とローマ教皇との関係改善に務め、教皇レオ9世の下での教会会議に司教を派遣したり、教皇使節を受け入れたりしました。政治的にも慈善事業など国家の再建に力を注ぎ、安定した良い政治を行いました。
エドワード王は慈悲深く、祈りの精神を大切にし、いつも罪を悔い、ゆるしの秘跡を熱心に受けたので、『懺悔王』『告解王』と呼ばれました。
1045年に結婚した妻エディスとは、形式として婚姻関係を結んだにすぎず、エドワード自身は修道士としての純潔にこだわり、エディスとは兄妹のように暮らしたので、世継ぎはいませんでした。
跡継ぎになったのは妻エディスの兄弟であるハロルド2世。しかしノルマンディー公ギヨーム2世にとって変わったので、エドワード王はイングランド最後のアングロサクソン王といわれています。
ロンドンにあるウェストミンスター寺院はエドワードが建てたもので、ヘンリー3世以降イギリス王の戴冠式の場となり、歴代の王の墓所となっています。
生きていた年代:1003年 - 1066年
祝日:10月13日
守護分野:困難な結婚 / 別れた配偶者 / 王朝
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《メダイ》
聖エドワード 20×15mm
《十字架》
イエス キリスト 10×12mm
《サイズ》
40cm + アジャスター5cm
atelier †Leda†