「イチジク浣腸社屋前の悲劇」
大空襲翌日の帰途。焼野原の中央にしゃがみ込む私。子供の遺体が鳶口で引っ掛けられ、車に
投げ込まれる様子があまりにも痛ましく、思わずその手を掴み、引き寄せた。近くに家族の位牌、
出征兵士の額縁、逃げおおせなかったひとつひとりの声にならぬ叫び。
焼け残ったビルの窓から見た無念の光景は共学に余りにあるものだった。
「北十間川の惨状」
今日のスカイツリー直近の京成橋から東方向を見た惨状。炎と熱風に追い詰められ、大勢の人が
次々と川に飛び込み、そのまま息絶えて浮かんでいた。ここは爆心地、犠牲者の叫びが残るこの
場所に、単なる世界一に電波塔としてではなく、スカイツリーの施設内に「戦災資料館」の常設
を呼びかけ、恒久平和の祈念を語り継ぎたい。
「無残に焼かれた母子」
京成押上駅〜国鉄錦糸町駅間の様子。当時私は都立本所工業学校に通っており、空襲翌日、
周辺の様子が心配で線路を歩いて見に行った。その道程で目にした実際の無数の遺体の中、
辛苦に果てた母子に出会う。私はその幼子に、邪心を持つ輩を怒りの形相で見据える
不動明王の姿に託し、恒久平和への願いにかられ、絵筆を走らせた。
上記3点をポストカードでお送りします。
「イチジク浣腸社屋前の悲劇」
大空襲翌日の帰途。焼野原の中央にしゃがみ込む私。子供の遺体が鳶口で引っ掛けられ、車に
投げ込まれる様子があまりにも痛ましく、思わずその手を掴み、引き寄せた。近くに家族の位牌、
出征兵士の額縁、逃げおおせなかったひとつひとりの声にならぬ叫び。
焼け残ったビルの窓から見た無念の光景は共学に余りにあるものだった。
「北十間川の惨状」
今日のスカイツリー直近の京成橋から東方向を見た惨状。炎と熱風に追い詰められ、大勢の人が
次々と川に飛び込み、そのまま息絶えて浮かんでいた。ここは爆心地、犠牲者の叫びが残るこの
場所に、単なる世界一に電波塔としてではなく、スカイツリーの施設内に「戦災資料館」の常設
を呼びかけ、恒久平和の祈念を語り継ぎたい。
「無残に焼かれた母子」
京成押上駅〜国鉄錦糸町駅間の様子。当時私は都立本所工業学校に通っており、空襲翌日、
周辺の様子が心配で線路を歩いて見に行った。その道程で目にした実際の無数の遺体の中、
辛苦に果てた母子に出会う。私はその幼子に、邪心を持つ輩を怒りの形相で見据える
不動明王の姿に託し、恒久平和への願いにかられ、絵筆を走らせた。
上記3点をポストカードでお送りします。