Ich bin Katze

Ich bin Katze

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Ice bin Katze 我輩は猫である。名はまだ無い。どこで生まれたのか見当もつかぬ。ただ暗いジメジメした… と、空で書けるのはここまでである。ここから先は名作ではなく迷作となる。ご了承の程を。 昨今の人間達というのは、夏目先生の時代に比べ、随分と吾輩達猫に対し甘々な気がするのである。 主従関係すら逆にしていると言っても過言ではありますまい。まさに猫可愛がりここに極めけりな現代社会と言えよう。そんな時代に我輩から提案したいことがある。 それは何か。 猫と人間の関係性はことわざに象徴されていると思うのであるが、ここに挙げてみる。 借りてきた猫(ふだんと違って非常におとなしいようす) 虎を描いて猫に類す(凡人が優れた人の真似をして軽薄になることのたとえ。また、立派過ぎるものを求めて失敗することのたとえ) 鳴く猫は鼠を捕らぬ(口数が多い者は、とかく口先だけで実行が伴わないというたとえ) 猫被り(本性を隠しておとなしそうにみせること) 猫が肥えれば鰹節が痩せる(一方がよくなれば他方が悪くなり、一方に利があれば他方に損があるというたとえ) 猫でない証拠に竹を描いておき(へたな絵をあざけっていう言葉。描いた虎が猫に間違えられないように、「竹に虎」の取り合わせで知られる竹を描き足すという意の川柳から。クマと小鳥ではそれに倣って猫の字を入れてますな) 猫にもなれば虎にもなる(相手や状況しだいで、おとなしくもなれば凶暴にもなるということのたとえ) 猫の魚辞退(内心は欲しくてたまらないのに、うわべだけ遠慮することのたとえ。また、その場だけのことで、長続きしないことのたとえ) 猫の手も借りたい(非常に忙しくて手が足りず、誰でもいいから手助けがほしいようす) 猫の目のよう(物事の移り変わりが激しいことのたとえ) 猫は三年の恩を三日で忘れる(猫は三年飼われても、飼い主への恩を三日で忘れてしまうくらい薄情な動物だということ) 猫は虎の心を知らず(つまらない人間には、大人物の心の中はわからないということのたとえ) 猫糞(悪いことを隠して、知らん顔をしていること。また、拾い物や預かり物を自分の物にすることのたとえ) 猫も杓子も(誰も彼もみんなということ。猫の手と杓子が似ているところから) 猫を追うより皿を引け(その場のがれより、根本を正すことが大事だというたとえ。皿をねらっている猫を追い払うより、皿を片付けるほうがいいということから) 猫を殺せば七代祟る(猫は執念深いので、殺せば子孫七代まで祟りがあるという俗説) 猫にまつわることわざは100個以上あるらしいがキリがないのでこの辺で終わる。 しかし随分なものが多く甚だ不愉快である。 我輩達の肉球を見ては悶絶している人間が猫の手と杓子が似ているなどと、いったいどの口が言っているのか。 人間の口か。 概して猫より虎の方が立派であるという価値観で統一されているのもどうであろう。実際、虎が側にいたら怖いだけである。 これは明らかな猫差別、猫蔑視以外の何物でもない。 差別蔑視に敏感な時代にこれはどうなのか。 そう、我輩が提案したいのは、天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らないそうであるが、昨今の人は人の上に猫を造りたがるのであるならば、こう言った猫差別猫蔑視のことわざはこの際廃止にして「猫はカワイイ❤️」だけを唱えていればいいのではないか。 と言う事なのである。 最後にことわざの部分は「ことわざ辞典ONLINE.」から猫糞したことを書いておくニャン。

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