こだわり○○が苦手になり「こだわらないことがこだわり」となった現在

こだわり○○が苦手になり「こだわらないことがこだわり」となった現在

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トゥイっす! 約束は守るEmikoだよ! イラストはご相談者様に送っていただいたEmiko画です。何でキジ猫がいることがわかったんだ?凄い! 若い頃の私にそっくりで、うーん やっぱり私美しい(絵が) ありがとうございました! ********************************* 最近、いよいよ ネットのCM(テレビは全く見ない)や商品紹介ページなんかによくある「こだわり○○」「○○にこだわりました」「○○にこだわって・・」が苦手になってきている。 昔はすべてにこだわって、強迫神経症状態にあるほど完璧主義だった私。 小中学生の頃から日用品のメーカーにまでこだわり、職人展でも質問攻めw、バイクのキャブセッティングでもノイローゼレベルにこだわっていた。 だからこそ、色々なことを極めることができたし、最後までやりぬく強さも身についた。 でも、大きな病気から生還してから全てが一変した。 こだわること=「○○でなければいけない」「○○でないとダメ」「○○でないと失格、ダメな品質」という、息がつまる自分ルールに縛られる気がしてきたのだ。 さらに言えば、その「こだわり」という意識に「弱さや不安」を感じるようにさえなった。 こだわって(ルール通りで)いないと不安、ダメ、気持ちがのらない、みたいな。 内観できるようになってきた頃だと思う。 そうじゃなくて、「あれでもヨロシ」「これもまたヨロシ」「これがいいけど、まぁこれでもいっか!」というこだわりの無さに、広い心とか許容、希望通りじゃないものでも受け入れられる余裕を感じるようになった。 もちろんダメなものはダメだけど、いちいち自分を狭めるこだわりはただの足枷でしかない。 余裕を無くし、不安を増大させることだと。 こだわり、ではなく「好きでやっている」ならOKだと思う。 たとえば、写真のウエスタンブーツ。 私はもう3度の飯よりウエスタンブーツが好き。 そう、好きすぎて真夏でも1年中履いているのだ。これは「こだわり」でも「ルール」でも無く、好きでそれを選んでいる状態。 だからこそ逆にジーンズとブーツが何らかの理由で履けなくなったら、あっさり諦めると思う。 変な執着を持っているのではなく、「本当に好き」なだけだからだ。 変な執着のある「好き」はたぶん諦められないこだわりに近いものだろう。 こう・・重さを伴う「好き」なのか、ワクワクして癒される「好き」なのかの違い。 ウエスタンブーツにまつわる最高に辛い思い出があるけど、それとこれとは別。 そんな経験に大好きなものを引っ張られるのはまっぴら御免なので、もちろん今でもフツーに履くわけです。 好きなものを辛かった経験と繋げてやめる、なんてバカバカしい。 好きなことは続けていい、でもこだわりを無理に貫くことは苦しくなることが多い。 昔、もう弾きたい気持ちが無いのに無理にギターを弾いてた頃は本当に辛かった。 よく友達と「音楽」が「音が苦」になったらやめたほうがいいよね、って話をしてたっけ。 なんかこう・・ギターを弾かなくなったら、もう今みたいに弾けなくなるんじゃないか的な「怖れ」で無理に弾いていたんだよね。 でもそれって違うなって気づいてケースにしまい込んだ。 だからもう長くギターも弾いてない。 過去にたくさんの職人と呼ばれる人たちと知り合いになったけど、すごい!と言われる人たちほど、実は「テキトー」だった。 でも要点はしっかり押さえているし、技術も完璧。 そう、自分のこだわりをかなり変えていきながら、”そこ”にたどり着いた人が多いのだ。 自分のやり方にこだわっている以上、成長はない。進化もない。行き詰まりがすぐに来るだけ。 それは自然界の法則。植物ですら、同じ葉っぱを同じように出すことは無く、環境や状況でどんどん「やり方」を変えていく。 私は「こだわらないことにこだわっています」 この柔軟性はとてつもない強さ、強靭さとなる。 善悪・二元論で縛られ、感情だけで生きている人にはわからない世界だろうけど、実際宇宙にはこだわりなんか存在していなくて ただそこには完璧さがあるだけ。 小さい頭でこだわって世界や世間を狭くして苦しむより、もっと自由で許容スペースのある意識になるためには こだわりという「恐怖・不安」を超えて、こだわらない「強さ・柔軟性」を持って生きていきたい。 完璧にこだわりを捨てなくてもいい。ただ、自分をもっと自由にしてあげたいということ。 それは諦めでもいい加減になることでもない。 自ら締めていた首のマフラーを少し緩めて、もっと楽にしてあげて酸素を供給することだ。 そして恐れや依存のない純粋な「好きだ」という気持ちを大切にしていきたいと思う。 いつブーツが履けなくなっても構わない、それでいて今や昔の趣味だったバイクやギターよりも大好きなウエスタンブーツ。 いつ失っても構わないからこそ、「今」本気で愛せるのだ。 失うことを恐れている人は、一生、本気で誰かを愛することは無いでしょう? だって出会ってしまえばどんな物でも人でも必ず別れがくるんだから。 親子ですら、そして自分の肉体とさえ、「いつかさらばさ」by森山直太朗 なのだ。 失うことが怖いなんて、そんなんじゃ自己防衛(失う恐れ)のために、 出会ったすべてのモノや人を「愛さない」「愛せない」ことを選ぶ人生になっていくよね。 こんなに寂しくて悲しくて不幸なことって無いよ。 それを選ぶのも人の自由だけど・・・「自分を守るために、相手や物を愛さない」って何だか惨めで見てられない。 結局、何も守れてないしw 辛くても「別れ」は美しいものよ。 私はそこから逃げる気もない。 辛い別れほど、幸せだったからじゃないかな。 厳しい言い方だけど、 大切な相手が亡くなったり、壊れたり、失ってもなお以前のように 「まだ自分のためにいてほしい」「私のために存在しろ」「○○が無いと生きて行けない」なんて 私は酷い傲慢だと思う。 「愛ではないただの依存関係」です。 執着は、愛ではない。歪んだ自己愛です。 本当の愛なら、しがみつくことが相手の自由を奪うことになることくらいわかるはず。 どんな事でも人でも「あなたのために存在しているわけじゃない」ということを前提にしないと認知が歪む。 執着なく、まっすぐ愛せる物や人や動物たちが今いるなら、これこそ本当に幸せなこと。 だと思わない? こだわりが無くなってくると本当に人生が楽になって、幸せをただただまっすぐに「幸せだ」と感じられるようになってきます。 こだわりも「しがみつき」「執着」の一つだから。

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