こんにちは♪
リフレッシュ期間中のEmikoです(^^)/
幸せ、って「心が自由」でいられることだと思います。
忙しいとか時間がないから自由が無い、というのではなく、忙しくても時間が無くても「心が自由」であればどんな状況でも幸せを感じられます。
忙しいという”充実感”を伴った満たされた幸せであったりします。
いつ寝ているのか、いつ家に帰ったのか記憶すらないほど忙しかった頃は、時間的自由は無かったけれど心はいつも自由でした。
仕事はきついけれどやりがいがあり楽しく、人間関係も同じ多忙仲間と満たされ、恋愛も自由に愛し愛され、出会い、別れ・・笑ったり泣いたり。
いつも「心だけは自由」でした。
逆に、時間があって裕福な暮らしをしていても幽閉されているように心に自由がないならば、人は不幸を感じるものです。
「こう思え」「こう信じろ」「これをやれ」「これをするな」という風に、自分の気持ちを誰かに押し込められるならば、どんな状況や環境でも人は壊れていってしまうでしょう。
また、自分自身にも同じように「こうしなければならない」「こうしたらダメ」「こう思わねば」「これが常識・・」と自由に感じることすら抑制し押さえつければ、最後には自分が何を求めているのかすらわからなくなって壊れていきます。
人は皆、自分自身で建てた牢獄の囚人になっていたりする。
親から植え付けられた概念や、社会的な ”その時代の常識” に囚われてあたかもそれが自分の気持ちのように勘違いして生きています。
その概念や常識という名のルールに沿って「正しく」生きているはずなのに・・苦しいのはなぜ?でしょう。
それは、自分の心を生きていないから。
自分は何が欲しいのか、が わからない人には「欲しいものなど何も手に入らない」のは当たり前です。
そもそも、"何かわからないもの" など手に入れようが無いから。
サンタクロースに「何かわからないけど、何かください」と言ってるようなもの。
相手(宇宙)は困りますから、言われた通り 「何かわけのわからん、変なもん(苦悩・苦痛)」を渡すしかないわけですw
宇宙に全てを委ねるにしても、自分が今、何を欲しているのかがわからないなら・・・一体何を委ねるというのでしょう。
例えば「お金が欲しい」ならば →「お金があれば安心できるから」→「安心がほしかった」
「誰かに愛されたい」→「自己肯定されたい」→「自分に自信が欲しかった」 というように、少し掘り下げると本当に欲しかったものが見えてきます。
その、掘り下げた最後に現れる欲しいもの、願望を大切にしてください。
それは、かなりの確率で不安や恐怖を埋め合わせたいがための願望だったりするものです。
不安や怖れを消すための願望ではなく、できるだけ自分が心から本気で欲するものを見つけましょう。
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どんな状況であれ、あなたの心は今すぐにでも解放させることができる、自由な心を持って良いことに気づいてください。
心はどう思おうと自由なのです。
たとえ、それが倫理やモラルに反しているようなことですら、行動を起こさない(犯罪にならない)限りは自由です。
どんな感情であれ、表層に一度浮き上がらせて、その思いを感じ切ってあげない限りハートの中で黒い煙を吐き・・・燻り続けます。
ハートは黒くなって、そして第三チャクラの方にまで黒いすすで汚染されていきます。
どんな気持ちも一度、しっかり浮き上がらせて(涙が出ることも大切な浄化です)感じ切ってください。
「怒りや憎しみを持ってはいけないよ!」「悪想念は良くないよぉ~」などと自分や他人を押さえつけている人ほど、お腹の中は真っ黒!なものです。
これは本当に厄介な「腹が真っ黒な自称”善人”」さんです。
それよりもよっぽど素直に「うわ~ムカつく!〇してやりたいくらいだ!」と感じ切ってその後、その気持ちを手放すことが正しい浄化のルートなのです。相手に感情をぶつけることとは全く違います。吐き出すのではなく、自分のありのままの感情をきちんと感じ切ることです。
(その時、心底分かり合い、かけがえのない相手になったりすることも多いです。感情や罵声のぶつけ合いは、単なる共依存の暴力・DVです。)
だから、私自身は「好きです」も、「それは傷付きます」も、「もうやめてください!」ということも全て、どんな相手にも正直に素直に話します。
言葉にすれば、その言葉以上でも以下でもなくなり、モヤモヤもなく自分を必要以上に傷つけることもないからです。
私は自分を何より誰よりも大切にしています。
誰しも、自分が自分を本気で愛する一番の恋人・友人・保護者でいなければならないと思っています。(本気で自分を愛しているからこそ、厳しさも自分に与えます。甘やかすこととは真逆です。)
自分自身に正直に、素直になることを許し、どんな感情も受け入れ感じ切って・・・
そうして初めてその感情が自由になり、解放されていくのです。
姉の家で
「お父さんの分の餃子が食べたい!ウエーッ!!」と感情のままに泣いていた幼き日(3歳)の甥っ子。(現在20歳w)
ギャン泣きの彼に私が
「ちょっと少なかったから、もっと食べたいね。でもお父さんの分まで食べたら、お腹を空かせて返ってきたお父さんが一つも食べられなくて悲しい気持ちになっちゃうよ。
それか、”取っておいてくれたんだね、偉いね” ってお父さんに褒められるのと、欲望のままに食べちゃうの、どっちにする?
うーん・・じゃあEmikoちゃんとこっちのご飯一緒に食べようか?!一緒に食べよう!」と話した時の顔。
涙で濡れぐしゃぐしゃの顔になっているのに、急に表情が和らぎ キラキラの笑顔で「・・うん!!!」と元気に頷いた。
すでに「父親の餃子を食べたい」という気持ちは消えていた。
ここで、彼の気持ちや感情を無理やり押さえつけ
「ダメ!あんたが我慢すればいいんだ!」「わがまま言わないの!」とこちらも感情をぶつけて言っていたら・・一体どうなっていたのだろう。
きっと感情を押し殺し、自虐に向かう20歳になっていただろう。
感情を受けとめてあげて、そして解放してあげることの大切さ。
彼の泣きながらの輝く笑顔は今も私にその大切さを教えてくれている。
もし、感情的に酷いことを言ってしまっても、それはその時のあなたの素直な気持ち。
それならばあとで「悪かったな」と素直に思えばきちんと「さっきはごめんね、こんな気持ちでこう言ってしまった」と伝えられるはず。
そこで小さなカルマは相殺されて消えていくから、問題になることはありません。
変な正論をかざして、心に正直にならないことがこじれ、問題を大きくしていくのです。
自分の心に本当に素直ならば、怒鳴り合うことも正論で相手を負かすこともありません。
自分の心を自由にさせ、素直にさせることに怯えているからそうなるだけです。
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感情がからまってハートが詰まっている状態の人は、身体症状的にも息が吐きづらく苦しいものです。
もう時代は令和です。戦時中ではありません。
自分の心くらいは自由にしてあげましょう。
それができないと、全く関係の無い他人も許せなくなります。自由に生きている人の誹謗中傷をしはじめます。
「自分はこんなに我慢しているのに!」って・・・(我慢にしがみついているのは本当は自分だとまた気づけていない状態です)
ホロコースト、アウシュビッツの強制収容所の中でさえ「心だけは自由」「心の尊厳は守る」「心だけは幸せでいると私は決めた」人達がいるわけです。彼らはどんな状況でも幸せでいることを選んだのです。
そして、その心の通りに現実化していくものです。
心の自由は最終的に自分にも周りにも幸せをもたらします。不幸になることは本当はありません。
この部分で大きな勘違いをしている方がまだまだこの時代にはたくさんいます。
本当の心の自由を手にすると、実は人は皆正しい方向へ向かうのです。心に余裕ができるから。
余裕がない状態で正しい人になろうとするのは、狂気の沙汰です。
でも・・
自分にも周りにも嘘をついて「嘘の人生」を選ぶも、自分にも周りにも正直に素直に「本当の人生」を選ぶも自由です。
私は「本当の人生」を周りに見せたい。
だから、どんなに怖くても・・心にだけは嘘をつかず生きてきました。
自分の人生を卑下したり、ロクなもんじゃないと諦めてる人もたくさんいますが
どんな人の人生にも、本当は恥ずかしいことなんか何もない。
たった一度の大切な自分の人生を恥ずかしいと思う気持ちが、一番恥ずかしいのではないでしょうか。
さらに言えば、自分に酔った独りよがりな感じがします。
地獄行き列車に乗るも、天国行き列車に乗るも・・・これも「自由」です。
あなたの心はいつでも自由なのです。
そして、魂はもっと自由奔放に生きたいのです。