旧世界旅行記 番外編⓪ 国を傾げる杖のルーツの話
昔々あるところにラッパの名手の青年がいた。
彼はラッパの音を通じ蛇やトカゲを操ることができたため、同じ農村に住む者たちは彼を倉庫を狙うねずみ捕りのために穀物倉庫の番として雇った。
謙虚な彼は倉庫番以外にも朝晩の時知らせのラッパも吹くのであった。
山を背に朝日に向かってラッパを吹くと、彼の音は湾の先までよくよくうつくしい旋律を響かせたという。
そんな彼の運命はある時変わってしまった。
いつものように夜明けのラッパを吹くために見晴台へと足を伸ばしたある日、海から美しいラッパの音が響いてきた。
それは彼すらかなわぬかと錯覚させるほどの美しく気高い音。
街の人々もその美しさに驚き、飛び起きてきて皆青年に詰め寄った。
あの音は誰の音なんだ、と。
青年は悔しかった。
ラッパの名手は自分と、そう信じていた中に突如現れた不明の名手。
挑まずにはいられなかった。
自身こそが1番であると証明するために。
翌日の朝青年はまだ明けぬ夜の海へと向かい、胸いっぱいに空気を吸って叫んだ。
「申す!ラッパの名手よ、今朝は私と勝負して欲しい!」
しばし波の音が響くばかりだったが、彼の目前で大きな飛沫がたった。
その中にいたのは半人半魚の麗しきものであった。
「我はポセイドンが子、トリトン。そなたの音は我にも届いておった。真っ直ぐなその音に敬意を評し、その勝負をしかと受けよう。しかし神へと挑むのならば、敗れた時にはわかっていような?」
真っ直ぐトリトンの目を見据え、青年は返した。
「もちろんです。私が敗れたのならば、私の肉体を海に沈め、骨から時を知らせる鐘をつくり、肉体は泡へと変えてください」
かくして、トリトンと青年のラッパの勝負は幕を開けることとなる。
先を切って吹いたのは青年の方であった。
街の人々は夜明け前のラッパの音にみな驚き、港の浜へと集まった。
「港の民草よ。我が家はトリトン。我はこの者と勝負の契りを交わした。そなたたちがこの勝負の決着をつけるのだ」
何に決着をつけるのだとは言われずしても全ての者がわかっていた。
トリトンに向かいラッパを吹く青年の音が全てを伝えていた。
ときにけたたましく、時に慎ましやかに、滑らかな音の流れは青年そのものを表すかのような響きを以て人々の耳を、心を魅了した。
青年はありとあらゆる全てを今この時に注ぎ込み、ラッパを吹き終えた。
永遠に思えるような、一瞬に思えるような時を経て、彼はトリトンに再び向き合った。
「我の番だな」
すうと吸われた息の音を、みな固唾を飲んで聞いていた。
直後に鳴り響くのは前日の朝に美しく響き渡ったあの音。
しかし、音の質は確実に違っていた。
遠巻きに届いていた音とは桁違いの繊細な息遣いが、滑らかな音の運びが、気高い旋律が響いたその時、青年はそっと目を瞑った。
挑む程もなく、自身は劣っていたと、そう理解させられたのだ。
神の音が響き渡り、その演奏が終わるまではあっという間だった。
呼吸を忘れるほどの音に、みなただただぼうっと突っ立っていた。
「して青年よ。結果は…よいな?」
青年は頷くと、港の民の前で浅瀬にそっと身を横たえた。
「そなたのラッパは素晴らしかった。それに免じて、この身から抜けた魂を私の眷属として召し上げよう。共にこの世の海を旅し、気ままにラッパを楽しもうでは無いか」
満足気に言ったトリトンがトライデントを振りかざすと、青年の身は波にさらわれふつふつと泡となり、その身から5つの煌めくものがこぼれた。
「港の民草よ。これはあの青年の心の総てである。彼は自分亡き後に、朝晩を知らせるものを残して欲しいと願った。その心はこうして4つの時計の形となり、そなたたちにもたらされる。
そして…これは我が叶えた願いでは無いが…この男自身の『自分亡き後も、街のものに平穏を』という願いが形を持ったとみえる。
蛇を操る杖に見えるが、魔力のないものでも扱えるように杖自体にまじないがかかっている。蛇に蔵を守って欲しいと願いこの杖をかざせば、今まで彼がしてきたように蔵を守ってくれるだろう」
ポセイドンは未だぼうっとしている民にそう伝え、肉体を失い浮遊する青年の魂を伴って波の合間に消えていった。
浜にきらめく時計と杖に、港の民は青年を思って涙したのだった。
無謀にもポセイドンの子に挑み、湾にその名を残した、
その者の名はミセヌスと言った。
旧世界旅行記 番外編⓪ 国を傾げる杖のルーツの話
昔々あるところにラッパの名手の青年がいた。
彼はラッパの音を通じ蛇やトカゲを操ることができたため、同じ農村に住む者たちは彼を倉庫を狙うねずみ捕りのために穀物倉庫の番として雇った。
謙虚な彼は倉庫番以外にも朝晩の時知らせのラッパも吹くのであった。
山を背に朝日に向かってラッパを吹くと、彼の音は湾の先までよくよくうつくしい旋律を響かせたという。
そんな彼の運命はある時変わってしまった。
いつものように夜明けのラッパを吹くために見晴台へと足を伸ばしたある日、海から美しいラッパの音が響いてきた。
それは彼すらかなわぬかと錯覚させるほどの美しく気高い音。
街の人々もその美しさに驚き、飛び起きてきて皆青年に詰め寄った。
あの音は誰の音なんだ、と。
青年は悔しかった。
ラッパの名手は自分と、そう信じていた中に突如現れた不明の名手。
挑まずにはいられなかった。
自身こそが1番であると証明するために。
翌日の朝青年はまだ明けぬ夜の海へと向かい、胸いっぱいに空気を吸って叫んだ。
「申す!ラッパの名手よ、今朝は私と勝負して欲しい!」
しばし波の音が響くばかりだったが、彼の目前で大きな飛沫がたった。
その中にいたのは半人半魚の麗しきものであった。
「我はポセイドンが子、トリトン。そなたの音は我にも届いておった。真っ直ぐなその音に敬意を評し、その勝負をしかと受けよう。しかし神へと挑むのならば、敗れた時にはわかっていような?」
真っ直ぐトリトンの目を見据え、青年は返した。
「もちろんです。私が敗れたのならば、私の肉体を海に沈め、骨から時を知らせる鐘をつくり、肉体は泡へと変えてください」
かくして、トリトンと青年のラッパの勝負は幕を開けることとなる。
先を切って吹いたのは青年の方であった。
街の人々は夜明け前のラッパの音にみな驚き、港の浜へと集まった。
「港の民草よ。我が家はトリトン。我はこの者と勝負の契りを交わした。そなたたちがこの勝負の決着をつけるのだ」
何に決着をつけるのだとは言われずしても全ての者がわかっていた。
トリトンに向かいラッパを吹く青年の音が全てを伝えていた。
ときにけたたましく、時に慎ましやかに、滑らかな音の流れは青年そのものを表すかのような響きを以て人々の耳を、心を魅了した。
青年はありとあらゆる全てを今この時に注ぎ込み、ラッパを吹き終えた。
永遠に思えるような、一瞬に思えるような時を経て、彼はトリトンに再び向き合った。
「我の番だな」
すうと吸われた息の音を、みな固唾を飲んで聞いていた。
直後に鳴り響くのは前日の朝に美しく響き渡ったあの音。
しかし、音の質は確実に違っていた。
遠巻きに届いていた音とは桁違いの繊細な息遣いが、滑らかな音の運びが、気高い旋律が響いたその時、青年はそっと目を瞑った。
挑む程もなく、自身は劣っていたと、そう理解させられたのだ。
神の音が響き渡り、その演奏が終わるまではあっという間だった。
呼吸を忘れるほどの音に、みなただただぼうっと突っ立っていた。
「して青年よ。結果は…よいな?」
青年は頷くと、港の民の前で浅瀬にそっと身を横たえた。
「そなたのラッパは素晴らしかった。それに免じて、この身から抜けた魂を私の眷属として召し上げよう。共にこの世の海を旅し、気ままにラッパを楽しもうでは無いか」
満足気に言ったトリトンがトライデントを振りかざすと、青年の身は波にさらわれふつふつと泡となり、その身から5つの煌めくものがこぼれた。
「港の民草よ。これはあの青年の心の総てである。彼は自分亡き後に、朝晩を知らせるものを残して欲しいと願った。その心はこうして4つの時計の形となり、そなたたちにもたらされる。
そして…これは我が叶えた願いでは無いが…この男自身の『自分亡き後も、街のものに平穏を』という願いが形を持ったとみえる。
蛇を操る杖に見えるが、魔力のないものでも扱えるように杖自体にまじないがかかっている。蛇に蔵を守って欲しいと願いこの杖をかざせば、今まで彼がしてきたように蔵を守ってくれるだろう」
ポセイドンは未だぼうっとしている民にそう伝え、肉体を失い浮遊する青年の魂を伴って波の合間に消えていった。
浜にきらめく時計と杖に、港の民は青年を思って涙したのだった。
無謀にもポセイドンの子に挑み、湾にその名を残した、
その者の名はミセヌスと言った。