作品説明
前回のつづき
相対主義者はコミュニケーションを破壊する
「みんなの価値観を尊重していこうよ!」
優しい言葉ですね。相対主義はとても優しい主義に見えます。世間一般的な評価で言えば、
このような考え方の方が評価されます。良いとされます。
しかし、相対主義はコミュニケーションを破壊する側面があるのです。
一見すると相対主義は相手の価値観を尊重しているように思えます。
ただ、相対主義色が強すぎると尊重と見せかけた“無関心さ”になります。
人の価値観を大切にすることはとても重要なことです。しかし、相手の価値観を尊重しすぎるあまり
一歩踏み出せなくなると、コミュニケーションが崩壊してしまうのです。
私たちはなにか共通に信じているものがあるからこそ、そこに歩み寄ろうとして話し合いをします。
しかし、相対主義では「へー、そんな考え方があるんだね。私の考え方はこれだよー。
いや〜、二人ともいろいろな考え方があって正しいね☆どちらの考え方も尊重しようね☆」
とするので、話し合いがまったく進みません。
結局のところ、お互いに無関心でないと相対主義ではいられないのです。
相対主義者が行き着く先は他人事の世界へ
互いに互いが無関心になると、行き着く世界は『他人事の世界』になります。
相対主義色が強い時代で
冒頭にも書きましたが、私たちは無意識的に相対主義を受け入れています。
少しでも絶対主義的な方向に傾くと、「あいつは傲慢だ。自分の考えを押し付けようとしてくる」
なんて言われちゃいます。譲れない何かを持っていると、
「こだわりが強いなぁ」と避けられちゃいます^^;
「AさんにはAさんの価値観が。BさんにはBさんの価値観が。CさんにはCさんの価値観があるんだ。
それぞれが楽しければそれでいいじゃない!」
こう言われちゃうと、もう何も言えなくなってしまいます。
何を言っても「それはあなたの考えですよね」「そういう考えもあるんですよね」で、
話が終わってしまいます。そうなると、お互いに自分の殻に閉じこもって終わり。
こうなってしまうと、社会問題も解決できなければ、新しい発想も生まれません。
相対主義を超えて
人の価値観を大切にする相対主義者は優しい人です。相対主義者はいい人に見えます。
物分りが良くて、決してこっちを否定してきません。だから自分と相手とで対立が起きません。
でも、それだけです。相対主義者は相手を受け入れることもなく、共感するでもなく、
ただただ無関心なのです。ただし、しゃべっていて無関心のようには感じません。
人当たりがよく感じられます。
多くの場合「この人はいい人やなー」と思います。ここが相対主義の恐ろしいところです。
そして相対主義者のもっとも恐ろしいところが、自分が相対主義者であることに気がつかないところです。
それを指摘されても、「へー、そういう見方もあるんですねー」で終わります。
ある意味、達観しているようですが、相対主義者はそこで成長が止まります。
なぜかというと、もう外からの声が届かないからです。
しかし、それを乗り越えていかないといけないのです。
成長していくためには、他の人の意見と交わらないといけません。
意見を出そう
意見を出すのは怖いです。「お前、そんな意見あるの?」とか「思想が強いな」とか言われるからです。
しかし、その恐怖を乗り越えて意見を出して行かないといけません。
人とコミュニケーションをとることを恐れていないか
深い会話をすることを恐れていないか
自分の意見を言うことをためらっていないか
自分の価値観を話すことを拒否していないか
議論は悪だと思っていないか
などなど、これが人とできない限り、私たちは相対主義を超えることはできません。それでは!
前回のつづき
相対主義者はコミュニケーションを破壊する
「みんなの価値観を尊重していこうよ!」
優しい言葉ですね。相対主義はとても優しい主義に見えます。世間一般的な評価で言えば、
このような考え方の方が評価されます。良いとされます。
しかし、相対主義はコミュニケーションを破壊する側面があるのです。
一見すると相対主義は相手の価値観を尊重しているように思えます。
ただ、相対主義色が強すぎると尊重と見せかけた“無関心さ”になります。
人の価値観を大切にすることはとても重要なことです。しかし、相手の価値観を尊重しすぎるあまり
一歩踏み出せなくなると、コミュニケーションが崩壊してしまうのです。
私たちはなにか共通に信じているものがあるからこそ、そこに歩み寄ろうとして話し合いをします。
しかし、相対主義では「へー、そんな考え方があるんだね。私の考え方はこれだよー。
いや〜、二人ともいろいろな考え方があって正しいね☆どちらの考え方も尊重しようね☆」
とするので、話し合いがまったく進みません。
結局のところ、お互いに無関心でないと相対主義ではいられないのです。
相対主義者が行き着く先は他人事の世界へ
互いに互いが無関心になると、行き着く世界は『他人事の世界』になります。
相対主義色が強い時代で
冒頭にも書きましたが、私たちは無意識的に相対主義を受け入れています。
少しでも絶対主義的な方向に傾くと、「あいつは傲慢だ。自分の考えを押し付けようとしてくる」
なんて言われちゃいます。譲れない何かを持っていると、
「こだわりが強いなぁ」と避けられちゃいます^^;
「AさんにはAさんの価値観が。BさんにはBさんの価値観が。CさんにはCさんの価値観があるんだ。
それぞれが楽しければそれでいいじゃない!」
こう言われちゃうと、もう何も言えなくなってしまいます。
何を言っても「それはあなたの考えですよね」「そういう考えもあるんですよね」で、
話が終わってしまいます。そうなると、お互いに自分の殻に閉じこもって終わり。
こうなってしまうと、社会問題も解決できなければ、新しい発想も生まれません。
相対主義を超えて
人の価値観を大切にする相対主義者は優しい人です。相対主義者はいい人に見えます。
物分りが良くて、決してこっちを否定してきません。だから自分と相手とで対立が起きません。
でも、それだけです。相対主義者は相手を受け入れることもなく、共感するでもなく、
ただただ無関心なのです。ただし、しゃべっていて無関心のようには感じません。
人当たりがよく感じられます。
多くの場合「この人はいい人やなー」と思います。ここが相対主義の恐ろしいところです。
そして相対主義者のもっとも恐ろしいところが、自分が相対主義者であることに気がつかないところです。
それを指摘されても、「へー、そういう見方もあるんですねー」で終わります。
ある意味、達観しているようですが、相対主義者はそこで成長が止まります。
なぜかというと、もう外からの声が届かないからです。
しかし、それを乗り越えていかないといけないのです。
成長していくためには、他の人の意見と交わらないといけません。
意見を出そう
意見を出すのは怖いです。「お前、そんな意見あるの?」とか「思想が強いな」とか言われるからです。
しかし、その恐怖を乗り越えて意見を出して行かないといけません。
人とコミュニケーションをとることを恐れていないか
深い会話をすることを恐れていないか
自分の意見を言うことをためらっていないか
自分の価値観を話すことを拒否していないか
議論は悪だと思っていないか
などなど、これが人とできない限り、私たちは相対主義を超えることはできません。それでは!