想像力があれば、いつでも自由を感じることができる。
人間の想像力は思った以上に柔軟性に富んでいる。
むしろ自由が失われたとき、僕たちの想像力は思いがけないパワーを与えてくれるかもしれない。
そんなことを期待して描き始めたのが、「Journey with You」シリーズだ。
このシリーズを描く前、僕はどこにも行けない自分に焦りを感じていた。色々な言語を操り、スーツケース1つで身軽に旅する人に憧れていた。
今でもごく稀に現れるこの焦燥感は、「自由が故の呪縛」のようなものだと思う。
健康な身体がある、残された時間もたっぷりある、大切な人も当たり前のようにいてくれる。まるで人生が永遠に続くかのような万能感。まさに自由を感じることができる貴重な時期だ。
でも、人間は面白い生き物だ。一見、このように羨むべきキラキラした時期であっても、逆に不自由を感じることがある。僕自身も、この不自由について悶々と考えていた時期がある。
身体はこんなに健康なのに。時間もそこそこあるし、大切な人も毎日元気でいてくれるのに。僕はこの自由を全然活かすことができていない。毎日のようにSNS上で投稿される煌びやかで壮大な景色を見ながら、僕は自分の人生を常に過小評価していた。
「このままじゃいけない。」「ここにいてはいけない。」常にこんな焦燥感を持っていた。どこかへ行くために、いつも貯金をしていた。でも、本当はどこに行きたいのか尋ねられても、当時の僕はおそらく答えられなかった。
「旅行は若いうちに行っといたほうがいい。」そんな一見ポジティブに捉えるべき言葉が、確実に老いていく自分を責め立てる言葉のように感じられた。僕たちの人生は思ったより前へ進まない。いつかはどこかへ行ってみたいという気持ちを持ちながらも、人生はとんでもないスピードで過ぎ去っていく。それに抗うように僕は常にどこかへ行こうとしていた。
でも、そんな人生があるきっかけで大きく変わった。それは決して自由を手に入れたからではない。むしろ自由が失われたことによって生まれたきっかけだった。
2022年、僕はアレルギーを発症した。それは、なんと“熱”に対して起こるアレルギーだった。身体が熱くなると全身が激しいかゆみに襲われる。そのため夏はもちろん、冬であっても太陽の下に5分でも出るとすぐに痒みが現れる。おまけに軽い貧血も起こるので、ちょっと外出しただけでクタクタになる。遠出はおろか、近所の川を10分散歩することさえも、僕にとっては大変なことになった。
若さを活かしてどこへでも行けるはずの自分が、どこへも行けなくなる。一見絶望的な状況にも関わらず、不思議なことに僕の心は今までより軽やかになっていた。
「どこかに行けない。いや、もうどこにも行かなくてもいい。」
少なくとも僕は、どこかへ行きたかったわけではなかったのだと思う。ただ、「若いうちにどこかに行くべきだ」という気持ちだけが一人歩きしていたのだ。どこにも行けないと悟った僕は、まるで背中に背負っていた大きな荷物をどっさり降ろしたようにスッキリした気持ちだった。
そして幸運なことに、今までの僕にはなかった能力が身についた。それはイラストを描く上で欠かすことのできない想像力というパワーだ。
僕のささやかな楽しみは毎日10分程度、家の近所にある川まで散歩にいくことだ。そこでカルガモや亀を眺めている。面白いもので、同じ川でも毎日違った発見がある。季節ごとに変わる景色や空気の匂い。そこで育まれる動物たちの営み。すべてがキラキラして見える。
自分の身の回りにある景色に発見を見いだす。これは20代前半、海外や都会に出て色々な経験をしていた僕には決してなかった能力だ。
話が長くなったけど、この「Journey with You」シリーズは、そうした想像力を活かして描きたかった。
僕はこれからも、遠くへ旅ができないかもしれない。けどそれでいい。代わりに、僕は想像力や発見力を使って楽しく生きることを目指したい。
「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ。」
これはゴッホが残したとされる名言のひとつだ。
僕は、この言葉に次のようなメッセージを感じた。「たとえ自由が失われても、自分の生活の中にある些細な景色に美しさを見いだすことができる。」
僕は時折この言葉を思い出しながら、日常の中から新しいイラストの断片を探している。
それらの断片を駆使しながら、僕はときどき想像の中でネコと一緒に旅へ出かけるのだ。
想像力があれば、いつでも自由を感じることができる。
人間の想像力は思った以上に柔軟性に富んでいる。
むしろ自由が失われたとき、僕たちの想像力は思いがけないパワーを与えてくれるかもしれない。
そんなことを期待して描き始めたのが、「Journey with You」シリーズだ。
このシリーズを描く前、僕はどこにも行けない自分に焦りを感じていた。色々な言語を操り、スーツケース1つで身軽に旅する人に憧れていた。
今でもごく稀に現れるこの焦燥感は、「自由が故の呪縛」のようなものだと思う。
健康な身体がある、残された時間もたっぷりある、大切な人も当たり前のようにいてくれる。まるで人生が永遠に続くかのような万能感。まさに自由を感じることができる貴重な時期だ。
でも、人間は面白い生き物だ。一見、このように羨むべきキラキラした時期であっても、逆に不自由を感じることがある。僕自身も、この不自由について悶々と考えていた時期がある。
身体はこんなに健康なのに。時間もそこそこあるし、大切な人も毎日元気でいてくれるのに。僕はこの自由を全然活かすことができていない。毎日のようにSNS上で投稿される煌びやかで壮大な景色を見ながら、僕は自分の人生を常に過小評価していた。
「このままじゃいけない。」「ここにいてはいけない。」常にこんな焦燥感を持っていた。どこかへ行くために、いつも貯金をしていた。でも、本当はどこに行きたいのか尋ねられても、当時の僕はおそらく答えられなかった。
「旅行は若いうちに行っといたほうがいい。」そんな一見ポジティブに捉えるべき言葉が、確実に老いていく自分を責め立てる言葉のように感じられた。僕たちの人生は思ったより前へ進まない。いつかはどこかへ行ってみたいという気持ちを持ちながらも、人生はとんでもないスピードで過ぎ去っていく。それに抗うように僕は常にどこかへ行こうとしていた。
でも、そんな人生があるきっかけで大きく変わった。それは決して自由を手に入れたからではない。むしろ自由が失われたことによって生まれたきっかけだった。
2022年、僕はアレルギーを発症した。それは、なんと“熱”に対して起こるアレルギーだった。身体が熱くなると全身が激しいかゆみに襲われる。そのため夏はもちろん、冬であっても太陽の下に5分でも出るとすぐに痒みが現れる。おまけに軽い貧血も起こるので、ちょっと外出しただけでクタクタになる。遠出はおろか、近所の川を10分散歩することさえも、僕にとっては大変なことになった。
若さを活かしてどこへでも行けるはずの自分が、どこへも行けなくなる。一見絶望的な状況にも関わらず、不思議なことに僕の心は今までより軽やかになっていた。
「どこかに行けない。いや、もうどこにも行かなくてもいい。」
少なくとも僕は、どこかへ行きたかったわけではなかったのだと思う。ただ、「若いうちにどこかに行くべきだ」という気持ちだけが一人歩きしていたのだ。どこにも行けないと悟った僕は、まるで背中に背負っていた大きな荷物をどっさり降ろしたようにスッキリした気持ちだった。
そして幸運なことに、今までの僕にはなかった能力が身についた。それはイラストを描く上で欠かすことのできない想像力というパワーだ。
僕のささやかな楽しみは毎日10分程度、家の近所にある川まで散歩にいくことだ。そこでカルガモや亀を眺めている。面白いもので、同じ川でも毎日違った発見がある。季節ごとに変わる景色や空気の匂い。そこで育まれる動物たちの営み。すべてがキラキラして見える。
自分の身の回りにある景色に発見を見いだす。これは20代前半、海外や都会に出て色々な経験をしていた僕には決してなかった能力だ。
話が長くなったけど、この「Journey with You」シリーズは、そうした想像力を活かして描きたかった。
僕はこれからも、遠くへ旅ができないかもしれない。けどそれでいい。代わりに、僕は想像力や発見力を使って楽しく生きることを目指したい。
「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ。」
これはゴッホが残したとされる名言のひとつだ。
僕は、この言葉に次のようなメッセージを感じた。「たとえ自由が失われても、自分の生活の中にある些細な景色に美しさを見いだすことができる。」
僕は時折この言葉を思い出しながら、日常の中から新しいイラストの断片を探している。
それらの断片を駆使しながら、僕はときどき想像の中でネコと一緒に旅へ出かけるのだ。