木製です!
フクロウの英語表記です。
タイトルについて
五木寛之さんの言葉です!(以下にも紹介)
「人間には無限の可能性がある」というような言い方には、どこか嘘があると思う。
人間にはできることと、そして、できないことがある。
人生は思うにまかせねものである。好きであっても素質がない場合もあり、
素質はあっても環境や運に恵まれず、好きではない世界で一生をおくらなければならないこともある。
人生の目的の第一歩は、生きること、である。
楽しいことは長続きする。好きなことは長続きする。気持ちのいいことは長続きする。
そうでないことは、どんなに強制されても結局は続かない。
証明することができない事柄を信用しない人がいる。科学的でない、という理由からだ。
しかし、私たちは科学だけで生きているわけではないし、市場原理だけで暮らしているわけでもない。
日本には世界に誇るべき思想がふたつあります。ひとつはSyncretism(シンクレティズム)、
神仏混淆という考え方です。仏壇と神棚が同居していても争いにならない。
一神教同士の原理主義的な宗教対立が先鋭化して世界の発展を阻害している時代だからこそ、
共存思想が輝きを放つのです。もうひとつが、Animism(アニミズム)、山にも川にも、
一木一草にも精霊や神が宿るという考え方です。今日の環境問題の根底には西欧的な人間中心主義があります。
人間も地球の一員という発想は、アニミズムの根からしか生まれてきません。
なにもやらなくてもよい、失敗した人生であってもよい、それはそれで、人間として生まれてきて、
そして人間として死んでいく、そのことにおいて、まず存在に価値があるのだ。
日本という国もこれからは富まずともアジアのため、
世界のために役立つような生き方をするべきではないかと思うのです。
一日に一回、どんなことがあってもよろこぶ。そう決心しました。
メタボリック症候群という言葉がすっかり流行語になりましたが、あんなものに踊らされるのが一番いけない。
日本は世界で最もメタボ基準が暴走した国です。本当に長生きで健康なのはちょっと小太りな人だとよく言われる。
ウエスト幅の健康基準などというものを国家が決めるのはファシズムです。
科学は常に諸刃の剣である。医学や技術によって救われた命と、それによって失われた命と、
はたしてどちらが多いか。私は五分五分だと感じている。
もしプロという言葉があるとしたら、それは技術ではなく、自己犠牲を伴う努力なり研鑽を己の生き甲斐にできるかという、
その一点にかかっているんじゃないですか。
自分を愛せる人間が他人をも愛せる。
しっかりと悲しみを確認しない限り人は悲しみを引きずって生きなければならない。
悲しみを声に出さないで無理をして明るい笑顔をつくろうとするから本当の鬱になるのです。
見も世もあらぬと身をよじって泣きじゃくるということを大事にしなければいけない。
人間の値打ちというのはどこにあるのでしょうか。それは、ほかに似た人がいないということです。
憂えるのは大事なことで、心の中に何とも言えない憂いが湧きあがる。これがなければ社会は進みません。
いまの若い人たちは自分探しなどと言っていますが、他に向けて憂えたり、
自分について憂える熱い気持ちが欠けていると思います。
天才的な素質をもちながら、世の出ず無名のままに埋もれた人は、いくらでもいる。
人間はまだ立ち上がれると余力と気力があるときに励まされると、再び強く立ち上げることができます。
ところが、もう立ち上がれない、自分はもうだめだと覚悟してしまった人間には、
励ましの言葉など上滑りしてゆくだけです。
どれほど努力しても失敗ばかりする時期もある。
仏教には「中道」という考え方があります。これは相対立する二つのどちらか一方だけに偏らない、
しかしいつも真ん中にいればいいというわけではない
木製です!
フクロウの英語表記です。
タイトルについて
五木寛之さんの言葉です!(以下にも紹介)
「人間には無限の可能性がある」というような言い方には、どこか嘘があると思う。
人間にはできることと、そして、できないことがある。
人生は思うにまかせねものである。好きであっても素質がない場合もあり、
素質はあっても環境や運に恵まれず、好きではない世界で一生をおくらなければならないこともある。
人生の目的の第一歩は、生きること、である。
楽しいことは長続きする。好きなことは長続きする。気持ちのいいことは長続きする。
そうでないことは、どんなに強制されても結局は続かない。
証明することができない事柄を信用しない人がいる。科学的でない、という理由からだ。
しかし、私たちは科学だけで生きているわけではないし、市場原理だけで暮らしているわけでもない。
日本には世界に誇るべき思想がふたつあります。ひとつはSyncretism(シンクレティズム)、
神仏混淆という考え方です。仏壇と神棚が同居していても争いにならない。
一神教同士の原理主義的な宗教対立が先鋭化して世界の発展を阻害している時代だからこそ、
共存思想が輝きを放つのです。もうひとつが、Animism(アニミズム)、山にも川にも、
一木一草にも精霊や神が宿るという考え方です。今日の環境問題の根底には西欧的な人間中心主義があります。
人間も地球の一員という発想は、アニミズムの根からしか生まれてきません。
なにもやらなくてもよい、失敗した人生であってもよい、それはそれで、人間として生まれてきて、
そして人間として死んでいく、そのことにおいて、まず存在に価値があるのだ。
日本という国もこれからは富まずともアジアのため、
世界のために役立つような生き方をするべきではないかと思うのです。
一日に一回、どんなことがあってもよろこぶ。そう決心しました。
メタボリック症候群という言葉がすっかり流行語になりましたが、あんなものに踊らされるのが一番いけない。
日本は世界で最もメタボ基準が暴走した国です。本当に長生きで健康なのはちょっと小太りな人だとよく言われる。
ウエスト幅の健康基準などというものを国家が決めるのはファシズムです。
科学は常に諸刃の剣である。医学や技術によって救われた命と、それによって失われた命と、
はたしてどちらが多いか。私は五分五分だと感じている。
もしプロという言葉があるとしたら、それは技術ではなく、自己犠牲を伴う努力なり研鑽を己の生き甲斐にできるかという、
その一点にかかっているんじゃないですか。
自分を愛せる人間が他人をも愛せる。
しっかりと悲しみを確認しない限り人は悲しみを引きずって生きなければならない。
悲しみを声に出さないで無理をして明るい笑顔をつくろうとするから本当の鬱になるのです。
見も世もあらぬと身をよじって泣きじゃくるということを大事にしなければいけない。
人間の値打ちというのはどこにあるのでしょうか。それは、ほかに似た人がいないということです。
憂えるのは大事なことで、心の中に何とも言えない憂いが湧きあがる。これがなければ社会は進みません。
いまの若い人たちは自分探しなどと言っていますが、他に向けて憂えたり、
自分について憂える熱い気持ちが欠けていると思います。
天才的な素質をもちながら、世の出ず無名のままに埋もれた人は、いくらでもいる。
人間はまだ立ち上がれると余力と気力があるときに励まされると、再び強く立ち上げることができます。
ところが、もう立ち上がれない、自分はもうだめだと覚悟してしまった人間には、
励ましの言葉など上滑りしてゆくだけです。
どれほど努力しても失敗ばかりする時期もある。
仏教には「中道」という考え方があります。これは相対立する二つのどちらか一方だけに偏らない、
しかしいつも真ん中にいればいいというわけではない