(1)新渡戸稲造は「日本と海外の架け橋になりたい!」と思い立ち海外に留学。そこでメアリーさんと出会って結婚。
↓
(2)奥さんや周りの人から「日本は宗教教育がないのに道徳観念を持っているのはなぜ?」と聞かれる。
↓
(3)この質問に頑張って答えようとしていたら新渡戸は気が付く。日本人の道徳や正義を形成しているのは「武士道」だと。
↓
(4)武士道は仏教・神道・儒教の影響を受けているハイブリッドな精神で、一言で言うなら「高き身分の者に伴う義務(ノーブレス・オブリージュ)」だ!
↓
(5)武士道には義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義という7つの徳(精神)があるという形で整理できそうだ。
札幌農学校卒業後、新渡戸は帝国大学(現・東京大学)の入試試験を受け、
このときに面接で「われ、太平洋の架け橋とならん」という有名な言葉を残しています。
そしてその後に東大を退学してアメリカやドイツに留学します。
また新渡戸はアメリカでメアリー・エルキントン(1857~1938年)と出会い結婚しました。
1891年に帰国した新渡戸は札幌農学校の教授となるも、体調を崩しやむを得ず休職。
療養中に英文で書き上げたのが『武士道』(BUSHIDO: The Soul of Japan)です。
1900年にアメリカで出版されるとたちまち反響を呼び、フランス語・スペイン語など各国の言語に訳されました。
アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト(1858~1919年)も徹夜で読みふけるほど感銘を受けたといいます。
新渡戸は武士道を一言で言うと「武士の掟」すなわち「高き身分の者に伴う義務(ノーブレス・オブリージュ)」であると述べています。
武士道は成文法ではなく、また1人の人間によって作られたものではありません。
数十年、数百年にわたる日本の歴史の中で、武士の生き方として自発的に醸成され発達したものです。
新渡戸によると、日本の封建制度は源頼朝(1147~1199年)が鎌倉幕府を開いたときです。
これにより武士(サムライ)たちが世の中の中心に躍り出ることになります。
武士はもともと戦う事を専門としますが、そんな彼らが世の中の中心に立って好き放題してしまっては社会が成り立ちません。
したがって、武士の間でも「フェア・プレイの精神」が求められるようになりました。
このようにして、武士の生活の中に武士道たる崇高な道徳律が生まれました。
武士が西洋の人に受け入れがたい理由は、武士道が個人よりも公を重んじるという点にもあります。
西洋の個人主義は、父と子、夫と妻に対して別々の利害を認めています。
しかし武士道においては、一族や家族の利害は一体不可分のものと考えられました。
それだけでなく、個人は国家とも結び付けられました。つまり個人は国家を担うための構成員として存在しています。
だからこそ、個人は国家のため、あるいはその合法的権威のために生き、死ななければならないと考えられたのです。
現代において「武士道」は死んだのか
結論から言うと、現代のわれわれの魂にも武士道は宿っていると思います。
武士道は、一部時代錯誤な考え方もあります。
例えば死について。現代ではどんな理由であれ「死ぬ」ということは最悪の選択肢、
というより選択肢にすら入れてはならないものと考えられるのが一般的ですが、
武士道の世界では名誉や忠義には命を賭けていました。
だからといって武士道が今の世の中にまったくなくなってしまったわけではありません。
日常のあらゆるシーンで「徳」はみる事ができる
例えば悪い事をしようとしている人を見つけた時。注意したら逆ギレされるかな…と思ったけど「やめなよ」と言った。
そこには正「義」と「勇」気があります。
「仁」を持って部下に接している上司やリーダーたち、友達と一緒になって悲しい事に泣き「礼」を尽くす人、
言った事は守る「誠」の精神を持った人。
恥ずべき行為をしたくないという「名誉」の心を持っている人も多いでしょう。
自分を救ってくれた、自分を信じてくれた恩人に「忠義」を尽くす人も決して珍しくはありません。
私たちの中に、そして私たちの周りには武士道の「徳」が、それが生まれた時とは少し形を変えて確かに存在しています。
(1)新渡戸稲造は「日本と海外の架け橋になりたい!」と思い立ち海外に留学。そこでメアリーさんと出会って結婚。
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(2)奥さんや周りの人から「日本は宗教教育がないのに道徳観念を持っているのはなぜ?」と聞かれる。
↓
(3)この質問に頑張って答えようとしていたら新渡戸は気が付く。日本人の道徳や正義を形成しているのは「武士道」だと。
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(4)武士道は仏教・神道・儒教の影響を受けているハイブリッドな精神で、一言で言うなら「高き身分の者に伴う義務(ノーブレス・オブリージュ)」だ!
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(5)武士道には義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義という7つの徳(精神)があるという形で整理できそうだ。
札幌農学校卒業後、新渡戸は帝国大学(現・東京大学)の入試試験を受け、
このときに面接で「われ、太平洋の架け橋とならん」という有名な言葉を残しています。
そしてその後に東大を退学してアメリカやドイツに留学します。
また新渡戸はアメリカでメアリー・エルキントン(1857~1938年)と出会い結婚しました。
1891年に帰国した新渡戸は札幌農学校の教授となるも、体調を崩しやむを得ず休職。
療養中に英文で書き上げたのが『武士道』(BUSHIDO: The Soul of Japan)です。
1900年にアメリカで出版されるとたちまち反響を呼び、フランス語・スペイン語など各国の言語に訳されました。
アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト(1858~1919年)も徹夜で読みふけるほど感銘を受けたといいます。
新渡戸は武士道を一言で言うと「武士の掟」すなわち「高き身分の者に伴う義務(ノーブレス・オブリージュ)」であると述べています。
武士道は成文法ではなく、また1人の人間によって作られたものではありません。
数十年、数百年にわたる日本の歴史の中で、武士の生き方として自発的に醸成され発達したものです。
新渡戸によると、日本の封建制度は源頼朝(1147~1199年)が鎌倉幕府を開いたときです。
これにより武士(サムライ)たちが世の中の中心に躍り出ることになります。
武士はもともと戦う事を専門としますが、そんな彼らが世の中の中心に立って好き放題してしまっては社会が成り立ちません。
したがって、武士の間でも「フェア・プレイの精神」が求められるようになりました。
このようにして、武士の生活の中に武士道たる崇高な道徳律が生まれました。
武士が西洋の人に受け入れがたい理由は、武士道が個人よりも公を重んじるという点にもあります。
西洋の個人主義は、父と子、夫と妻に対して別々の利害を認めています。
しかし武士道においては、一族や家族の利害は一体不可分のものと考えられました。
それだけでなく、個人は国家とも結び付けられました。つまり個人は国家を担うための構成員として存在しています。
だからこそ、個人は国家のため、あるいはその合法的権威のために生き、死ななければならないと考えられたのです。
現代において「武士道」は死んだのか
結論から言うと、現代のわれわれの魂にも武士道は宿っていると思います。
武士道は、一部時代錯誤な考え方もあります。
例えば死について。現代ではどんな理由であれ「死ぬ」ということは最悪の選択肢、
というより選択肢にすら入れてはならないものと考えられるのが一般的ですが、
武士道の世界では名誉や忠義には命を賭けていました。
だからといって武士道が今の世の中にまったくなくなってしまったわけではありません。
日常のあらゆるシーンで「徳」はみる事ができる
例えば悪い事をしようとしている人を見つけた時。注意したら逆ギレされるかな…と思ったけど「やめなよ」と言った。
そこには正「義」と「勇」気があります。
「仁」を持って部下に接している上司やリーダーたち、友達と一緒になって悲しい事に泣き「礼」を尽くす人、
言った事は守る「誠」の精神を持った人。
恥ずべき行為をしたくないという「名誉」の心を持っている人も多いでしょう。
自分を救ってくれた、自分を信じてくれた恩人に「忠義」を尽くす人も決して珍しくはありません。
私たちの中に、そして私たちの周りには武士道の「徳」が、それが生まれた時とは少し形を変えて確かに存在しています。