例えば、ネットである品物を買う場合
あちこち探して今の時点で一番安いものを選ぶ(他に問題がなければ)
事が多いです。
その時点では得をした!という感じより「いい買い物ができた!」
しかし、後日「もっと安く売られている」のを見つけた時、「損したな!」
と思ってしまう。
それが人間なんでしょうが、この「損した!」という気持ちを全くなくすことは、
できないにしても和らげる考え方はないものかとネットで探してみました…
ある記事より
スーパーで安い苺が売っていたので、得だと思い買いました。家に帰ってイチゴを食べようとすると、
痛んでいて捨てるところが多く、結局損をしたと思うことがよくありました。
人と話すとき、心では不快に思っていても、問題が起きないように笑顔で話します。損しないためです。
その場は丸く収まるけれど、自分を裏切って1つ罪を作ったような心地悪さに、自分が嫌になります。
問題は起きなくても、自分自身にダメージを受けます。結局、得した気分にはなれません。
スーパーのレジに並ぶとき、順番が早いレジを見定め並びます。得したいからです。
ところが、最初に並ぼうとしたレジの方が早かったことが多く、損した!と思います。
そんなわたしを娘は滑稽に思うらしく、30秒も違わないのに、とあきれ顔です。
そのときは反省しても、また次も同じことをしてしまいます。
わたしは懲りずに、何度も損得で決め、何度も得していないことに気がつきました。
何度も繰り返した結果、損得で決めるのをやめようと、やっと目が覚めました。
悪い癖を変えるのは時間がかかるものです。その「時間がかかるものだ」というその時間こそ、
損をしている、と言えるでしょう。
結局得しない!その理由
そんな体験から、わかったことがあります。
損得で決めると、結局損する羽目になる。なぜなら、損したくないから。
うん?どういうこと?
損得勘定する心の奥には、損をするんじゃないか?という不安や恐れがあります。
一番強く思うことが叶う、というこの世の法則があります。
得したいのに、その裏にある損するんじゃないか?という一番強い思いが叶ってしまう、というカラクリです。
それが、結局得しない、理由です。まさか、そんなカラクリがあったとは!です。
わたしが損得で決めている自分に気がついたのは、常々、自分の思考感情を観察する癖がついていたからです。
些細なところに出てくる、見過ごしがちな思考感情を、見つけることができるようになりました。
損得勘定は、日常であまりにもあたり前にやっていることだったので、気づきにくかったです。
あまりにも当たり前に出てくる思考感情こそ、気がつかないものです。ある意味盲点です。
わたしは、損得勘定をしている自分に気づいたことで、その自分を変えるチャンスができました。
損得勘定して決めても結局得しないので、早々に進路変更した方が、それこそ得策というものです。
すごいことに氣がつきました。
この損得、実は、想像以上に根の深いものなんじゃないか!?
わたしたちが怒るときイライラするとき、その怒りイライラは、損得からきているんじゃないでしょうか?
全部がそうだとは言いません。だけれど、怒り苛立ちは、かなりの確率で損得につながっているんじゃないでしょうか。
損だから怒る、損だからイライラする、のではないかということに氣がついてしまいました。
夫や彼にイライラしたとき、優しくされない=損している。
子どもがいうことを聞かないとき、思い通りにいかない=損している。
という具合に、ありとあらゆるところに、損得が見え隠れしていると感じました。
その損得は、二元性の三次元意識です。三次元意識には、ネガティブがつきまといます。ネガティブはネガティブを引き寄せます。
なので、三次元意識の損得を見つけたら、即進路を変えてください。
ネガティブはもう選択しないと決め、ポジティブな五次元意識を選択してください。
損得の根は、わたしたちの中に想像以上に根を張って、わたしたちの人生を支配していることに気がついてしまいました。
よくよく自分を観察していると、人の価値観の損得の物差しで判断している自分に気がつきます。
あーあ、また人の価値観で生きているよ、と思います。
この損得の根は、わたしたちを有限の世界に縛りつけ、不自由にします。
損得から、自分を解放し、自由を手に入れましょう。
例えば、ネットである品物を買う場合
あちこち探して今の時点で一番安いものを選ぶ(他に問題がなければ)
事が多いです。
その時点では得をした!という感じより「いい買い物ができた!」
しかし、後日「もっと安く売られている」のを見つけた時、「損したな!」
と思ってしまう。
それが人間なんでしょうが、この「損した!」という気持ちを全くなくすことは、
できないにしても和らげる考え方はないものかとネットで探してみました…
ある記事より
スーパーで安い苺が売っていたので、得だと思い買いました。家に帰ってイチゴを食べようとすると、
痛んでいて捨てるところが多く、結局損をしたと思うことがよくありました。
人と話すとき、心では不快に思っていても、問題が起きないように笑顔で話します。損しないためです。
その場は丸く収まるけれど、自分を裏切って1つ罪を作ったような心地悪さに、自分が嫌になります。
問題は起きなくても、自分自身にダメージを受けます。結局、得した気分にはなれません。
スーパーのレジに並ぶとき、順番が早いレジを見定め並びます。得したいからです。
ところが、最初に並ぼうとしたレジの方が早かったことが多く、損した!と思います。
そんなわたしを娘は滑稽に思うらしく、30秒も違わないのに、とあきれ顔です。
そのときは反省しても、また次も同じことをしてしまいます。
わたしは懲りずに、何度も損得で決め、何度も得していないことに気がつきました。
何度も繰り返した結果、損得で決めるのをやめようと、やっと目が覚めました。
悪い癖を変えるのは時間がかかるものです。その「時間がかかるものだ」というその時間こそ、
損をしている、と言えるでしょう。
結局得しない!その理由
そんな体験から、わかったことがあります。
損得で決めると、結局損する羽目になる。なぜなら、損したくないから。
うん?どういうこと?
損得勘定する心の奥には、損をするんじゃないか?という不安や恐れがあります。
一番強く思うことが叶う、というこの世の法則があります。
得したいのに、その裏にある損するんじゃないか?という一番強い思いが叶ってしまう、というカラクリです。
それが、結局得しない、理由です。まさか、そんなカラクリがあったとは!です。
わたしが損得で決めている自分に気がついたのは、常々、自分の思考感情を観察する癖がついていたからです。
些細なところに出てくる、見過ごしがちな思考感情を、見つけることができるようになりました。
損得勘定は、日常であまりにもあたり前にやっていることだったので、気づきにくかったです。
あまりにも当たり前に出てくる思考感情こそ、気がつかないものです。ある意味盲点です。
わたしは、損得勘定をしている自分に気づいたことで、その自分を変えるチャンスができました。
損得勘定して決めても結局得しないので、早々に進路変更した方が、それこそ得策というものです。
すごいことに氣がつきました。
この損得、実は、想像以上に根の深いものなんじゃないか!?
わたしたちが怒るときイライラするとき、その怒りイライラは、損得からきているんじゃないでしょうか?
全部がそうだとは言いません。だけれど、怒り苛立ちは、かなりの確率で損得につながっているんじゃないでしょうか。
損だから怒る、損だからイライラする、のではないかということに氣がついてしまいました。
夫や彼にイライラしたとき、優しくされない=損している。
子どもがいうことを聞かないとき、思い通りにいかない=損している。
という具合に、ありとあらゆるところに、損得が見え隠れしていると感じました。
その損得は、二元性の三次元意識です。三次元意識には、ネガティブがつきまといます。ネガティブはネガティブを引き寄せます。
なので、三次元意識の損得を見つけたら、即進路を変えてください。
ネガティブはもう選択しないと決め、ポジティブな五次元意識を選択してください。
損得の根は、わたしたちの中に想像以上に根を張って、わたしたちの人生を支配していることに気がついてしまいました。
よくよく自分を観察していると、人の価値観の損得の物差しで判断している自分に気がつきます。
あーあ、また人の価値観で生きているよ、と思います。
この損得の根は、わたしたちを有限の世界に縛りつけ、不自由にします。
損得から、自分を解放し、自由を手に入れましょう。