ご覧いただきありがとうございます𓇢𓆸
当店は2022年より、売上金の一部を
《福島県の子供達》《医療的ケア児達》へ
それぞれ寄付することを決意いたしました。
具体的な内容は画像の通りです。
以下、このような考えに至った経緯について、私の素直な想いを書かせていただきました。
上手く言葉にして伝えることができているか不安ですが、お時間がある方はご一読いただけましたら幸いです。
【消えない3.11の記憶】
当時私は大学生で、春休み期間中だったため福島に帰省していました。
いつもと変わらない日常だったはずなのに…。
突然の大きな地震、そして、起きてしまった原発事故。
余震が多い中、どんどん舞い込んでくる原発事故のニュース。
この先どうなってしまうのだろうと不安でいっぱいでした。
東日本大震災では、私も福島で色々なことを経験しましたが、その中でも、今回寄付を子供達へと決めたのには理由があります。
この事故の影響で、福島県から本当にたくさんの子供達が他県へ避難していきました。
小学校の教員だった私の親は、生徒さんのご家族にこまめに連絡を入れていたため、子供達の情報がリアルタイムで入ってきました。
子供達は、今まで一緒に過ごしてきた大好きな友達と、ちゃんとしたお別れができぬまま離ればなれになっていきました。
想像すらしていなかった現実…。
子供達の気持ちを考えただけで、胸が張り裂けそうでした。
その後、落ち着いた頃に福島県に戻られた方もいらっしゃるとは思いますが、中には、新しい土地で生活していくことを決めたご家庭もあります。
福島に暮らしていた避難した子供達、今暮らしている子供達、そして震災で親を亡くした子供達。
一人でも多くの子供達がたくさん笑っていられるように、自分の夢に向かって輝けるように、取り組みを行っている福島県に対して、復興の応援、また、子供達にとって福島が明るい未来ある場所になってほしいとの願いを込め、福島県の子供達へ寄付をしようと考えました。
【医療的ケア児の親として】
私には三人の子供がいますが、うち一人は生まれつき心疾患があります。その子は、2回目の心臓手術後、脳梗塞を起こしてしまい気付いた時には既に脳の半分以上が壊死状態に。医師から告げられた子供の未来に、私は泣いてばかりの日々を過ごしていました。
以降、在宅看護が必要となってしまったため、私は会社を辞めざるを得ず、今は毎日子供に様々なケアを行っています。
常に酸素モニターで数値をチェックしたり、薬等は決められた時間に胃ろうから注入、こまめに痰吸引もしたり等々。
大変なこともありますが、それでも頑張れるのは、子供と家で一緒に過ごしたいから、そして何より、子供に少しでも幸せに生きてほしいから。
…しかし、そうは思っていても、「自由時間」が欲しくなってしまう時もあるのです。
今でこそ我が家は、訪問看護師さんやヘルパーさん、児童発達支援センターの方等たくさんの方に支えていただきながら、たまに病院に子供を預かってもらったりと、以前より息抜きできるようにはなりましたが、最初の頃は子供のケアを任せられる人も、何かを相談できる相手も周りにいなくて、ただただ小さな命を守るのに毎日必死で心身共に疲れが蓄積していく日々が続いていたのを覚えています。
きっと、世の中には私と同じように、子供の幸せを願いつつ、でも大変な思いをされているご家族がいるはずです。
日々懸命に生きようと頑張っている医療的ケア児達の幸せを願うと共に、その家族もが、少しでも快適に暮らせる環境を作れるよう取り組みを行っている団体様へ、医療的ケア児とそのご家族のより良い未来を願いながら寄付をしていけたらと思っています。
✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
2022年、30歳になった私は、人生の大きなこの節目に、今の自分がハンドメイド作家としてできることは何か、ずっと考えていました。
そしてふと思ったのです。
私が心を込めて制作した作品がお客様の幸せに繋がる、そして、その幸せが子供達の笑顔に繋がる、そんな活動ができたら素敵だなと…。
きっと、私だから少しは理解できる苦しみや心の叫びがあると思います。
まだまだ些細な寄付しかできませんが、塵も積もれば山となることを信じ、まずはできることを始めてみようと思います。
一歩踏み出せば、何かが変わるはず!
最後に、ここまでお読みいただいた皆様、貴重なお時間をお使いいただき誠にありがとうございます。
これからも皆様に『より笑顔溢れる素敵な毎日』をお届けできるよう、精進して参りますので、引き続き応援いただけましたら幸いです🌸𓂃 𓈒𓏸
ご覧いただきありがとうございます𓇢𓆸
当店は2022年より、売上金の一部を
《福島県の子供達》《医療的ケア児達》へ
それぞれ寄付することを決意いたしました。
具体的な内容は画像の通りです。
以下、このような考えに至った経緯について、私の素直な想いを書かせていただきました。
上手く言葉にして伝えることができているか不安ですが、お時間がある方はご一読いただけましたら幸いです。
【消えない3.11の記憶】
当時私は大学生で、春休み期間中だったため福島に帰省していました。
いつもと変わらない日常だったはずなのに…。
突然の大きな地震、そして、起きてしまった原発事故。
余震が多い中、どんどん舞い込んでくる原発事故のニュース。
この先どうなってしまうのだろうと不安でいっぱいでした。
東日本大震災では、私も福島で色々なことを経験しましたが、その中でも、今回寄付を子供達へと決めたのには理由があります。
この事故の影響で、福島県から本当にたくさんの子供達が他県へ避難していきました。
小学校の教員だった私の親は、生徒さんのご家族にこまめに連絡を入れていたため、子供達の情報がリアルタイムで入ってきました。
子供達は、今まで一緒に過ごしてきた大好きな友達と、ちゃんとしたお別れができぬまま離ればなれになっていきました。
想像すらしていなかった現実…。
子供達の気持ちを考えただけで、胸が張り裂けそうでした。
その後、落ち着いた頃に福島県に戻られた方もいらっしゃるとは思いますが、中には、新しい土地で生活していくことを決めたご家庭もあります。
福島に暮らしていた避難した子供達、今暮らしている子供達、そして震災で親を亡くした子供達。
一人でも多くの子供達がたくさん笑っていられるように、自分の夢に向かって輝けるように、取り組みを行っている福島県に対して、復興の応援、また、子供達にとって福島が明るい未来ある場所になってほしいとの願いを込め、福島県の子供達へ寄付をしようと考えました。
【医療的ケア児の親として】
私には三人の子供がいますが、うち一人は生まれつき心疾患があります。その子は、2回目の心臓手術後、脳梗塞を起こしてしまい気付いた時には既に脳の半分以上が壊死状態に。医師から告げられた子供の未来に、私は泣いてばかりの日々を過ごしていました。
以降、在宅看護が必要となってしまったため、私は会社を辞めざるを得ず、今は毎日子供に様々なケアを行っています。
常に酸素モニターで数値をチェックしたり、薬等は決められた時間に胃ろうから注入、こまめに痰吸引もしたり等々。
大変なこともありますが、それでも頑張れるのは、子供と家で一緒に過ごしたいから、そして何より、子供に少しでも幸せに生きてほしいから。
…しかし、そうは思っていても、「自由時間」が欲しくなってしまう時もあるのです。
今でこそ我が家は、訪問看護師さんやヘルパーさん、児童発達支援センターの方等たくさんの方に支えていただきながら、たまに病院に子供を預かってもらったりと、以前より息抜きできるようにはなりましたが、最初の頃は子供のケアを任せられる人も、何かを相談できる相手も周りにいなくて、ただただ小さな命を守るのに毎日必死で心身共に疲れが蓄積していく日々が続いていたのを覚えています。
きっと、世の中には私と同じように、子供の幸せを願いつつ、でも大変な思いをされているご家族がいるはずです。
日々懸命に生きようと頑張っている医療的ケア児達の幸せを願うと共に、その家族もが、少しでも快適に暮らせる環境を作れるよう取り組みを行っている団体様へ、医療的ケア児とそのご家族のより良い未来を願いながら寄付をしていけたらと思っています。
✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
2022年、30歳になった私は、人生の大きなこの節目に、今の自分がハンドメイド作家としてできることは何か、ずっと考えていました。
そしてふと思ったのです。
私が心を込めて制作した作品がお客様の幸せに繋がる、そして、その幸せが子供達の笑顔に繋がる、そんな活動ができたら素敵だなと…。
きっと、私だから少しは理解できる苦しみや心の叫びがあると思います。
まだまだ些細な寄付しかできませんが、塵も積もれば山となることを信じ、まずはできることを始めてみようと思います。
一歩踏み出せば、何かが変わるはず!
最後に、ここまでお読みいただいた皆様、貴重なお時間をお使いいただき誠にありがとうございます。
これからも皆様に『より笑顔溢れる素敵な毎日』をお届けできるよう、精進して参りますので、引き続き応援いただけましたら幸いです🌸𓂃 𓈒𓏸