白川氏に拠ると、
女と「𠙵(サイ)」を合わせた形で、
巫女が祝禱を唱え、神のお告げを受ける。
神意に合うようにする意味の、~のごとしの意味となる。
二十五年前、この文字がわたしには分からなかった。
この巫女の「女」の形がヘンテコリンなのだ。
「女」の文字は手と、足の向きが同一なのに、
この「如」の文字は、手と足の向きを変えている。これは、いったいなんだと思い、
必死に白川静氏の書物を当たったが、記述がなく、首をかしげていた。
そこで、古代文字の師匠とする山本史也先生に、京都で聞いたのである。
これは、いったい、何を表しているのですか、と。
山本先生は、別に驚くこともなく、巫女が踊っているのでしょうねとおっしゃった。
これまでの疑問が吹き飛んだ。
なんと、古代の識字者は、素敵な文字を作ったのか。基本的な形とする「女」の文字に、変化を加え、
巫女が体をくねらせて踊っているさまを表したのである。しかも、
その手は「𠙵(サイ)」に向かっているではないか。
いまでも、山本史也先生には感謝している。
山本先生が古代文字を丁寧に解説してくださったから、
いまのわたしがいる。
白川氏に拠ると、
女と「𠙵(サイ)」を合わせた形で、
巫女が祝禱を唱え、神のお告げを受ける。
神意に合うようにする意味の、~のごとしの意味となる。
二十五年前、この文字がわたしには分からなかった。
この巫女の「女」の形がヘンテコリンなのだ。
「女」の文字は手と、足の向きが同一なのに、
この「如」の文字は、手と足の向きを変えている。これは、いったいなんだと思い、
必死に白川静氏の書物を当たったが、記述がなく、首をかしげていた。
そこで、古代文字の師匠とする山本史也先生に、京都で聞いたのである。
これは、いったい、何を表しているのですか、と。
山本先生は、別に驚くこともなく、巫女が踊っているのでしょうねとおっしゃった。
これまでの疑問が吹き飛んだ。
なんと、古代の識字者は、素敵な文字を作ったのか。基本的な形とする「女」の文字に、変化を加え、
巫女が体をくねらせて踊っているさまを表したのである。しかも、
その手は「𠙵(サイ)」に向かっているではないか。
いまでも、山本史也先生には感謝している。
山本先生が古代文字を丁寧に解説してくださったから、
いまのわたしがいる。