意味解読の続報2 人間世界の中心にはいつも空白があります。集合(全体性)における空集合です。空白だからこそ自然の無限の因果連鎖の中で例外的な中心になりうるのです。文明とは自然の万物流転にはない中心化‐全体性の確立です。中心権力とはこの特権的な中心の空白の座を独占することです。強者だけでなく誰でもこの中心の空白の座を占めることができるため、歴史はこの空白の中心権力の座の争奪戦となります。民主主義的なプログラムに従ってこの中心の空白の座を占めるものは次第に、とるにたらないもの、となっていきます。というのも空白に見合うふさわしいものとは限りなく希薄な存在だからです。よって弱者や動物などがこの空白をめぐって無限の権利要求を行うようになるのが歴史的必然なのです。磔刑のキリストや修業中の仏陀がみすぼらしい姿なのは、とるにたらないものが中心の空白の座を占める願いなのです。政治とはこの権利要求の範囲を決めることです。限定しないと諸権利同士が衝突してしまうからです。芸術とは言葉や音や色や形などがそれ自身の権利要求を行うことです。ミッキーマウスの登場はこの中心の空白の座に擬人化されたネズミがやってくる画期的な出来事です。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。
意味解読の続報2 人間世界の中心にはいつも空白があります。集合(全体性)における空集合です。空白だからこそ自然の無限の因果連鎖の中で例外的な中心になりうるのです。文明とは自然の万物流転にはない中心化‐全体性の確立です。中心権力とはこの特権的な中心の空白の座を独占することです。強者だけでなく誰でもこの中心の空白の座を占めることができるため、歴史はこの空白の中心権力の座の争奪戦となります。民主主義的なプログラムに従ってこの中心の空白の座を占めるものは次第に、とるにたらないもの、となっていきます。というのも空白に見合うふさわしいものとは限りなく希薄な存在だからです。よって弱者や動物などがこの空白をめぐって無限の権利要求を行うようになるのが歴史的必然なのです。磔刑のキリストや修業中の仏陀がみすぼらしい姿なのは、とるにたらないものが中心の空白の座を占める願いなのです。政治とはこの権利要求の範囲を決めることです。限定しないと諸権利同士が衝突してしまうからです。芸術とは言葉や音や色や形などがそれ自身の権利要求を行うことです。ミッキーマウスの登場はこの中心の空白の座に擬人化されたネズミがやってくる画期的な出来事です。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。