意味解読の続報13 自己は自己完結しません。自然の循環は内部と外部の区別と関係なく作動しているため、自己は絶えず開かれていて内部閉鎖はできないからです。自己や局所的な地域が自己完結的な均衡状態に憧れるのは、逆に均衡は見かけだけで常に危ういからです。それゆえ人は常にユートピア志向で自己完結的な別天地に憧れています。現に部分的な地域の調和はその代償として周囲の環境破壊、大気や海洋を汚すしわ寄せに頼っているのが現実です。その事実に自覚的であるがゆえにフロンティア開拓は必至で、鎖国は自己拡張(貿易)を余儀なくされます。人の思考形態である物語は自己完結的な調和に憧れる形式であり、単純な因果関係と擬人化が特徴のユートピア志向です。物語に批判的な唯物論者は単線的な物語構造を否定して、すべては複雑な重層的な因果関係にあることを主張します。スピノザは自然を擬人化するべきでないとするだけでなく、人間にも当てはめるべきではないとしています。人間の自己中心的物語は唯物論的には成り立たないため、物語構造そのものに違和を感じ飽きてきている現代では、次第に物語は逸脱的になり表現媒体の物質性を強調する傾向になっています。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。
意味解読の続報13 自己は自己完結しません。自然の循環は内部と外部の区別と関係なく作動しているため、自己は絶えず開かれていて内部閉鎖はできないからです。自己や局所的な地域が自己完結的な均衡状態に憧れるのは、逆に均衡は見かけだけで常に危ういからです。それゆえ人は常にユートピア志向で自己完結的な別天地に憧れています。現に部分的な地域の調和はその代償として周囲の環境破壊、大気や海洋を汚すしわ寄せに頼っているのが現実です。その事実に自覚的であるがゆえにフロンティア開拓は必至で、鎖国は自己拡張(貿易)を余儀なくされます。人の思考形態である物語は自己完結的な調和に憧れる形式であり、単純な因果関係と擬人化が特徴のユートピア志向です。物語に批判的な唯物論者は単線的な物語構造を否定して、すべては複雑な重層的な因果関係にあることを主張します。スピノザは自然を擬人化するべきでないとするだけでなく、人間にも当てはめるべきではないとしています。人間の自己中心的物語は唯物論的には成り立たないため、物語構造そのものに違和を感じ飽きてきている現代では、次第に物語は逸脱的になり表現媒体の物質性を強調する傾向になっています。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。