意味解読の続報12 パスカルは信仰は儀式的な形から入ればそれだけで信仰していることになり、信仰心があってもなくても形式が自ずと信仰心につながるとしています。他人の真意(本音)は結局知る由もないので心の中でどう思っていようと社会的には信仰の見た目(たてまえ)がすべてです。人は何かを信じる場合、何らかの確信を十分に得てから始めるのであればそれはむしろ自分を信じているのであり、「自分以外の対象を信じる」という賭けを含んだ飛躍行為(身を投げ出すアクション)ではなくなります。ポテンシャルや可能性はそれらが顕在化した時に初めて事後的に「あった」ことになるので、あらかじめそれらがあるとは言えず、心の中に秘めている信念やポテンシャルや可能性はそれだけでは無です。すると人はどうやって新しいことを信じたり始めたりするのでしょう。真に新しいことを信じるあるいは始める賭けは無意識的な行為という不可解な神秘的な出来事なのです。その結果何か新しいことが起これば、事後的にはじめて前からその原因があったように見えてくることになります。何事もはじめは虚心坦懐で、それが完成するまではどのようにできあがるか、結局やってみなくてはわからないわけです。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。
意味解読の続報12 パスカルは信仰は儀式的な形から入ればそれだけで信仰していることになり、信仰心があってもなくても形式が自ずと信仰心につながるとしています。他人の真意(本音)は結局知る由もないので心の中でどう思っていようと社会的には信仰の見た目(たてまえ)がすべてです。人は何かを信じる場合、何らかの確信を十分に得てから始めるのであればそれはむしろ自分を信じているのであり、「自分以外の対象を信じる」という賭けを含んだ飛躍行為(身を投げ出すアクション)ではなくなります。ポテンシャルや可能性はそれらが顕在化した時に初めて事後的に「あった」ことになるので、あらかじめそれらがあるとは言えず、心の中に秘めている信念やポテンシャルや可能性はそれだけでは無です。すると人はどうやって新しいことを信じたり始めたりするのでしょう。真に新しいことを信じるあるいは始める賭けは無意識的な行為という不可解な神秘的な出来事なのです。その結果何か新しいことが起これば、事後的にはじめて前からその原因があったように見えてくることになります。何事もはじめは虚心坦懐で、それが完成するまではどのようにできあがるか、結局やってみなくてはわからないわけです。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。