意味解読の続報11 ニーチェは、変転する森羅万象を生み出す大元のオリジナルであるイデアの超越的な輝かしい世界(観念論)と地上の変転する森羅万象であるコピーが際限なくコピーを重ねるシュミラークル世界(唯物論)との二項対立の間で、どちらが正しい本性なのかという問いに揺れ動いて引き裂かれ、午前と午後のあり得ない境い目である正午のようなその二項対立の中間の空白に立って錯乱し「私はキリストである」と叫んでいます。キリストも神人という矛盾を体現しています。実は二項対立(二元論)は第三項まで考えないと成立しません。二項しかなければ、どちらかの一項が一方的に一元的に論を立てていることになります。二項が真に対立しているなら、一方から他方の項へと直接移行できないわけですから、もしそれぞれが移行して両方の項を吟味できるというのなら対立は崩れています。二項対立が成立するには、客観的な第三の空白の立場が必要です。空白は「存在しない」が存在する矛盾です。どちらの項も第三の空白の立場に移行してこそ、二項対立全体を無垢な目で眺めうるわけですが、そのような場は空白ゆえに存在しないし、存在しないかのように振る舞わざるをえないわけです。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。
意味解読の続報11 ニーチェは、変転する森羅万象を生み出す大元のオリジナルであるイデアの超越的な輝かしい世界(観念論)と地上の変転する森羅万象であるコピーが際限なくコピーを重ねるシュミラークル世界(唯物論)との二項対立の間で、どちらが正しい本性なのかという問いに揺れ動いて引き裂かれ、午前と午後のあり得ない境い目である正午のようなその二項対立の中間の空白に立って錯乱し「私はキリストである」と叫んでいます。キリストも神人という矛盾を体現しています。実は二項対立(二元論)は第三項まで考えないと成立しません。二項しかなければ、どちらかの一項が一方的に一元的に論を立てていることになります。二項が真に対立しているなら、一方から他方の項へと直接移行できないわけですから、もしそれぞれが移行して両方の項を吟味できるというのなら対立は崩れています。二項対立が成立するには、客観的な第三の空白の立場が必要です。空白は「存在しない」が存在する矛盾です。どちらの項も第三の空白の立場に移行してこそ、二項対立全体を無垢な目で眺めうるわけですが、そのような場は空白ゆえに存在しないし、存在しないかのように振る舞わざるをえないわけです。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。