意味解読の続報46 胡蝶の夢というエピソードがあります。荘子が自分が胡蝶になった夢を見るのですが、夢の中の自分が現実か現実の方が夢なのか分からなくなった、といった説話です。これは少し前の科学的常識では、蒙昧な戯言のように聞こえますが、先端の科学理論では、現実の方がむしろ幻想で、違う現実は幾通りもありうると言ったりしているようです。もしかするとイマジネーションは水先案内人であり、科学的常識は時代時代を治めるための理念のその都度の方便的ニーズなのかもしれません。常識は人の潜在能力やイマジネーションをコントロールするためにあり、その抑制を外していくと様々な潜在能力が発揮されるのであろうと思われますが、時代に先行しすぎる潜在能力の現実化は抑制する必要があるのでしょう。そもそもからして人は本能的現実感をばらばらに解体して、断片化したイメージを自由に再構成する怪物的なキメラ(混合物、合成物)を創造することで文明を築いてきているわけです。こうした再構成を導く統整理念(悟性)の役割が現代では科学なわけで、イマジネーションは自由過ぎて無方向的に暴走してしまうことも必至ですから、そのコントロールも必要なのでしょう。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。
意味解読の続報46 胡蝶の夢というエピソードがあります。荘子が自分が胡蝶になった夢を見るのですが、夢の中の自分が現実か現実の方が夢なのか分からなくなった、といった説話です。これは少し前の科学的常識では、蒙昧な戯言のように聞こえますが、先端の科学理論では、現実の方がむしろ幻想で、違う現実は幾通りもありうると言ったりしているようです。もしかするとイマジネーションは水先案内人であり、科学的常識は時代時代を治めるための理念のその都度の方便的ニーズなのかもしれません。常識は人の潜在能力やイマジネーションをコントロールするためにあり、その抑制を外していくと様々な潜在能力が発揮されるのであろうと思われますが、時代に先行しすぎる潜在能力の現実化は抑制する必要があるのでしょう。そもそもからして人は本能的現実感をばらばらに解体して、断片化したイメージを自由に再構成する怪物的なキメラ(混合物、合成物)を創造することで文明を築いてきているわけです。こうした再構成を導く統整理念(悟性)の役割が現代では科学なわけで、イマジネーションは自由過ぎて無方向的に暴走してしまうことも必至ですから、そのコントロールも必要なのでしょう。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。