意味解読の続報33 条件さえ整えば、必要なものさえ揃えば、何かができるはずだ、と考えるのは間違いです。常に有り合わせのもので最善を尽くすしかありません。超越的な神がこの世にコンタクトをとろうとするなら、この世の現実にある有り合わせの材料の組み合わせで何とかメッセージを送るしかありません。つまり一見ただの現実ですが、そこに何らかのサインが込められてこともある、ということになります。そうしたサインを見逃すまいと探している宗教家は宗派を問わずたくさんいます。転用するということですが、たとえば人は花を愛でたりしますが、もともと花は単なる生殖器官であり、昆虫を誘う機能的な部位に過ぎません。その色形が美しいと言って生け花にしたりするのは転用なわけで、本来とは別の意味を作り出しています。字義通りのもの額面通りのものだけでは足りないのです。常に換喩や隠喩が編み出され、意味(自然)の誤使用により意味は横ずれしていきます。カントは美学だけが超越的な世界を証し立てているとしていますが、現実の材料でもやり方次第では現実以上の何かを引き出すことが可能なわけです。逆に言えば人は現実以上の何かを躍起になって求めているわけです。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。
意味解読の続報33 条件さえ整えば、必要なものさえ揃えば、何かができるはずだ、と考えるのは間違いです。常に有り合わせのもので最善を尽くすしかありません。超越的な神がこの世にコンタクトをとろうとするなら、この世の現実にある有り合わせの材料の組み合わせで何とかメッセージを送るしかありません。つまり一見ただの現実ですが、そこに何らかのサインが込められてこともある、ということになります。そうしたサインを見逃すまいと探している宗教家は宗派を問わずたくさんいます。転用するということですが、たとえば人は花を愛でたりしますが、もともと花は単なる生殖器官であり、昆虫を誘う機能的な部位に過ぎません。その色形が美しいと言って生け花にしたりするのは転用なわけで、本来とは別の意味を作り出しています。字義通りのもの額面通りのものだけでは足りないのです。常に換喩や隠喩が編み出され、意味(自然)の誤使用により意味は横ずれしていきます。カントは美学だけが超越的な世界を証し立てているとしていますが、現実の材料でもやり方次第では現実以上の何かを引き出すことが可能なわけです。逆に言えば人は現実以上の何かを躍起になって求めているわけです。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。