意味解読の続報10 唯名論と実念論という対立があります。唯名論は多様な個物だけがまず初めにあるとします。固有名をつけて区別するしかないような多様な乱雑な事物が普遍的であるということです。対する実念論では一般概念(イデア)が普遍的であり、それが定めない流転である自然の多様性を整理します。両者は対立というより相互依存しています。事物の多様性があることと一般概念の枠組みをかぶせることとは同時です。幾何学の面積を持たない点や線という抽象概念と必ず面積がある具体的な点や線とは作図上の閃きで同時に現れたはずです。これは絵図を描いた時、その空白に描いた何かが同時に具体的な形象でもあり一般概念でもあるようなものとして天啓のように現れるわけです。つまりプラトンのイデアは絵という作図上で生まれるのであり、模倣的な写生であると同時に抽象的な理念でもあるような形が現れるわけです。プラトンは普遍的なイデア(概念)の不完全な反映でしかない自然をさらに不完全に模倣する絵を幻惑術であるとして彼の理想の国から追放しようとしますが、劣化したイデアである絵こそがイデアへの通路でもあるわけです。カントは美学だけが超越性を証立てる根拠だとしています。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。
意味解読の続報10 唯名論と実念論という対立があります。唯名論は多様な個物だけがまず初めにあるとします。固有名をつけて区別するしかないような多様な乱雑な事物が普遍的であるということです。対する実念論では一般概念(イデア)が普遍的であり、それが定めない流転である自然の多様性を整理します。両者は対立というより相互依存しています。事物の多様性があることと一般概念の枠組みをかぶせることとは同時です。幾何学の面積を持たない点や線という抽象概念と必ず面積がある具体的な点や線とは作図上の閃きで同時に現れたはずです。これは絵図を描いた時、その空白に描いた何かが同時に具体的な形象でもあり一般概念でもあるようなものとして天啓のように現れるわけです。つまりプラトンのイデアは絵という作図上で生まれるのであり、模倣的な写生であると同時に抽象的な理念でもあるような形が現れるわけです。プラトンは普遍的なイデア(概念)の不完全な反映でしかない自然をさらに不完全に模倣する絵を幻惑術であるとして彼の理想の国から追放しようとしますが、劣化したイデアである絵こそがイデアへの通路でもあるわけです。カントは美学だけが超越性を証立てる根拠だとしています。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。