意味解読の続報45 「ただ場所だけが生起してしまっているだろう」これは芸術の行く末を示しているマラルメの言葉です。「これこそが芸術である」というのは場所とりなわけです。真正な芸術の座をめぐって常に争いがありますが、個々の作品が芸術と称賛されたり古臭く見なされたりして固定せずに入れ替わって、その座という空白の場所が浮かび上がってきます。「これこそが芸術である」という個々の作品への思い込みはフェティシズム的な執着であり、そうした居座りに反対し対抗する作品が常に場所とりをしているのですが、フェティッシュな執着を一掃するのが、この「ただ場所だけが」という言葉です。新たな芸術によってその都度改めて場所が生起するのですが、場所自体は実体的な作品が生まれてその座を占拠した後で遡及的に「生起してしまっているだろう」という未来完了形でのみ存在することになります。それだけでは存在しない空白の場所が、そこを指し示す新たなる作品とともに生起しながら、作品物体は場所を塞ぎ汚して侵害するので、場所そのものはあたかも風通しの良い未来へと逃げ水のようにどんどん移動してしまうわけで、そうして新たなる芸術を喚起しているかのようでもあるのです。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。
意味解読の続報45 「ただ場所だけが生起してしまっているだろう」これは芸術の行く末を示しているマラルメの言葉です。「これこそが芸術である」というのは場所とりなわけです。真正な芸術の座をめぐって常に争いがありますが、個々の作品が芸術と称賛されたり古臭く見なされたりして固定せずに入れ替わって、その座という空白の場所が浮かび上がってきます。「これこそが芸術である」という個々の作品への思い込みはフェティシズム的な執着であり、そうした居座りに反対し対抗する作品が常に場所とりをしているのですが、フェティッシュな執着を一掃するのが、この「ただ場所だけが」という言葉です。新たな芸術によってその都度改めて場所が生起するのですが、場所自体は実体的な作品が生まれてその座を占拠した後で遡及的に「生起してしまっているだろう」という未来完了形でのみ存在することになります。それだけでは存在しない空白の場所が、そこを指し示す新たなる作品とともに生起しながら、作品物体は場所を塞ぎ汚して侵害するので、場所そのものはあたかも風通しの良い未来へと逃げ水のようにどんどん移動してしまうわけで、そうして新たなる芸術を喚起しているかのようでもあるのです。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。