意味解読の続報32 ダブルスタンダードという造語があります。グローバルスタンダードと国内スタンダードがある、と使われたりしますが、とりわけ日本は明治以降の強い西欧崇拝があるのでこうした二重化が起こるのでしょう(明治以前は中国文化が理念です)。日常言語と科学言語のダブルスタンダードもあります。色の見えは光の波長で表されたりし、裏打ちのような二重書きになります。都市とローカルのダブルスタンダードもあります。これらは欧米文化を理念的基準として、その度合いの違いということかもしれません。どのスタンダードでも生きていけるのですが、理念を共有できているか、が問われるわけです。たとえば地震のメカニズムを地下で巨大なナマズが暴れているとしても、その人のリアリティーなら問題ないのですが、理念到達の点では問題ありなのでしょう。個人感覚の多様性を理念的共通項のもとにまとめる必要があるので、理念的通用度以外は迷信になるわけです。諸個人のそれぞれに偏向した価値観に基づく世界見取り図の錯綜体は、個人内の人生のやりくりにすぎず、それでも生きてはいけますが、他人には共有不可能なため、理念的スタンダードの統整が必要ということなのでしょう。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。
意味解読の続報32 ダブルスタンダードという造語があります。グローバルスタンダードと国内スタンダードがある、と使われたりしますが、とりわけ日本は明治以降の強い西欧崇拝があるのでこうした二重化が起こるのでしょう(明治以前は中国文化が理念です)。日常言語と科学言語のダブルスタンダードもあります。色の見えは光の波長で表されたりし、裏打ちのような二重書きになります。都市とローカルのダブルスタンダードもあります。これらは欧米文化を理念的基準として、その度合いの違いということかもしれません。どのスタンダードでも生きていけるのですが、理念を共有できているか、が問われるわけです。たとえば地震のメカニズムを地下で巨大なナマズが暴れているとしても、その人のリアリティーなら問題ないのですが、理念到達の点では問題ありなのでしょう。個人感覚の多様性を理念的共通項のもとにまとめる必要があるので、理念的通用度以外は迷信になるわけです。諸個人のそれぞれに偏向した価値観に基づく世界見取り図の錯綜体は、個人内の人生のやりくりにすぎず、それでも生きてはいけますが、他人には共有不可能なため、理念的スタンダードの統整が必要ということなのでしょう。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。