意味解読の続報20 人のものの見方はその都度の優勢な認識の枠組み(パラダイム)や政治情勢への配慮(イデオロギー)などによって歪められた偏見であることが避けられません。つまり認識の座標軸が存在し、かつ認識の座標軸そのものは始終組変わっていきます。普遍性という概念さえもそうした認識の土台の変化によって左右される特殊なものです。つまり普遍は人の数だけあります。有限で特殊で暫定的な存在である人間が普遍性(や神や無限など)について語るのはちゃんちゃらおかしい、という意見もありますが、こうした見方も知らないはずの普遍性を密かにあらかじめ永遠性や完全性などとしてイメージして、そこから照らし返しています。普遍性はそもそも人が想定している概念であり、また何であれ世界観を持つなら誰もが想定せざるを得ないので、特殊な偏りであることを避けられません。すると偏見である普遍性のイメージが裏切られるまさにその時にこそ、その失敗として普遍性に触れることになります。その好例がキリストの磔刑で、キリストも信者も全能万能の神の救済を期待していましたが裏切られ、神は想像を超えた何かへと変貌したために人は普遍性の真意を改めて探らなけらばならなくなったのです。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。
意味解読の続報20 人のものの見方はその都度の優勢な認識の枠組み(パラダイム)や政治情勢への配慮(イデオロギー)などによって歪められた偏見であることが避けられません。つまり認識の座標軸が存在し、かつ認識の座標軸そのものは始終組変わっていきます。普遍性という概念さえもそうした認識の土台の変化によって左右される特殊なものです。つまり普遍は人の数だけあります。有限で特殊で暫定的な存在である人間が普遍性(や神や無限など)について語るのはちゃんちゃらおかしい、という意見もありますが、こうした見方も知らないはずの普遍性を密かにあらかじめ永遠性や完全性などとしてイメージして、そこから照らし返しています。普遍性はそもそも人が想定している概念であり、また何であれ世界観を持つなら誰もが想定せざるを得ないので、特殊な偏りであることを避けられません。すると偏見である普遍性のイメージが裏切られるまさにその時にこそ、その失敗として普遍性に触れることになります。その好例がキリストの磔刑で、キリストも信者も全能万能の神の救済を期待していましたが裏切られ、神は想像を超えた何かへと変貌したために人は普遍性の真意を改めて探らなけらばならなくなったのです。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。