意味解読の続報23 古代壁画に覚える興奮の一つは退色や剝落など経年劣化の損傷が否応なく絵に独特の雰囲気を添えている点です。空白の地肌の上に描かれた人為的図像が自然によっていくらか破壊されて何某か元の空白性を取り戻している様が奇妙な感慨深さをもたらすのです。修復再現した方が良いということもありますが、場合によっては自然損傷の作品にインパクトがあることも事実です。たとえばサモトラケのニケやミロのビーナスなどは損傷していなかったらこれほど有名になるインパクトがあったかどうかわかりません。大英博物館ではかつて収集して持ち帰った古代ギリシャ彫刻のはげかかっていた彩色をきれいに洗い落として漂白して展示していたことがありました。創作の手を加えたことで非難されてはいますが、動機はともあれ空白性への衝迫を目の当たりにするようで興味深いところもあります。人の作ったものが空白へといくらか還元されることへの感慨深さは、廃墟趣味などにもうかがえますが、人為100%のある種の息苦しさから解放されるということもあるでしょうか。人間主義的な小作りな完璧主義や完成度への執着は必ずしも心地良いあるいは美しいとは限らないのかもしれません。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。
意味解読の続報23 古代壁画に覚える興奮の一つは退色や剝落など経年劣化の損傷が否応なく絵に独特の雰囲気を添えている点です。空白の地肌の上に描かれた人為的図像が自然によっていくらか破壊されて何某か元の空白性を取り戻している様が奇妙な感慨深さをもたらすのです。修復再現した方が良いということもありますが、場合によっては自然損傷の作品にインパクトがあることも事実です。たとえばサモトラケのニケやミロのビーナスなどは損傷していなかったらこれほど有名になるインパクトがあったかどうかわかりません。大英博物館ではかつて収集して持ち帰った古代ギリシャ彫刻のはげかかっていた彩色をきれいに洗い落として漂白して展示していたことがありました。創作の手を加えたことで非難されてはいますが、動機はともあれ空白性への衝迫を目の当たりにするようで興味深いところもあります。人の作ったものが空白へといくらか還元されることへの感慨深さは、廃墟趣味などにもうかがえますが、人為100%のある種の息苦しさから解放されるということもあるでしょうか。人間主義的な小作りな完璧主義や完成度への執着は必ずしも心地良いあるいは美しいとは限らないのかもしれません。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。