意味解読の続報31 人は宇宙に憧れますが、なぜでしょうか。宇宙には空気もなく放射線なども飛び交っています。人にとってはいわば荒涼とした死の空間です。なのに憧れるのなら、地上の現実とは別の何かという可能性を求めているからなのでしょう。バレエやジャンプ競技を含むようなスポーツなどは重力から解放されるイメージに憧れていますが、地上の掟から自由になりたいわけです。宇宙は広大すぎてむしろ何もないのですが、地上の面倒な慣習には疑いを持っているなら、それよりはるかにいい夢の舞台なのかもしれません。プラトンは地上の雑多な雑然とした現実に対して、ピュアなイデアの世界を尊んでいますが、地上の流転には耐え難いという嫌悪があるのでしょう。ホログラフィック理論では人が見ている三次元世界は幻覚であり、究極には二次元的な設計図のような実体があるということのようですが、プラトニックな感性に急接近するようで驚きを覚えます。イデアという真実世界への直感は正しいなら、紀元前の慧眼であるというこになります。よくわからない因果関係の間隙を突飛な空想で想定して埋めることは人の常ですが、時に原初的なインスピレーションの方がむしろ核心をついているのかもしれません。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。
意味解読の続報31 人は宇宙に憧れますが、なぜでしょうか。宇宙には空気もなく放射線なども飛び交っています。人にとってはいわば荒涼とした死の空間です。なのに憧れるのなら、地上の現実とは別の何かという可能性を求めているからなのでしょう。バレエやジャンプ競技を含むようなスポーツなどは重力から解放されるイメージに憧れていますが、地上の掟から自由になりたいわけです。宇宙は広大すぎてむしろ何もないのですが、地上の面倒な慣習には疑いを持っているなら、それよりはるかにいい夢の舞台なのかもしれません。プラトンは地上の雑多な雑然とした現実に対して、ピュアなイデアの世界を尊んでいますが、地上の流転には耐え難いという嫌悪があるのでしょう。ホログラフィック理論では人が見ている三次元世界は幻覚であり、究極には二次元的な設計図のような実体があるということのようですが、プラトニックな感性に急接近するようで驚きを覚えます。イデアという真実世界への直感は正しいなら、紀元前の慧眼であるというこになります。よくわからない因果関係の間隙を突飛な空想で想定して埋めることは人の常ですが、時に原初的なインスピレーションの方がむしろ核心をついているのかもしれません。
定形は文明を不定形は自然を象徴しています。
つまるところ自然とは、文明に抵抗してくるところのものであり、文明とは自然をコントロールすることですが、自然とはそれがままならず、それどころか文明を崩壊させてしまうものです。これまでほとんどの文明が、環境破壊の末に自然からのしっぺ返しを受けて滅んできました。人間における失敗とは、人為に対する想定外の自然の反作用のことです。
人間が発明した神という概念は、自然の中の空白(0の発明)のことであり、自然の因果連鎖を超えた非存在の無のことです。よって人間の目指すものは、自然の摂理を超えた霊魂の不滅(宗教)や、現世においては不老不死の欲望(科学)、以外にないことになります。
もし、この空白を信じるのをやめ、そこに託した希望や夢を断念してしまうと、人生の意味(物語)そのものが失われてしまうことになります。こうして人間の宿題は、未踏の空白とそこにふさわしい聖像を探す不可能な旅となります。
綿布にアクリル絵の具で描いた絵で、サイズは綿布が95×135㎝ほどです。綿布の生成り地の余白部分も作品のうちです。シリーズで50点ほどあります。