寒山拾得

寒山拾得

寒山拾得(読み)かんざんじっとく(英語表記)Han-shan Shi-de 中国,唐の伝説上の2人の詩僧。天台山国清寺の豊干禅師の弟子。拾得は豊干に拾い養われたので拾得と称した。寒山は国清寺近くの寒山の洞窟に住み,そのため寒山と称したといい,樺皮を冠とし大きな木靴をはき,国清寺に往還して拾得と交わり,彼が食事係であったので残飯をもらい受けていた。ともに世俗を超越した奇行が多く,また多くの詩を作ったという。しかし,これらの事績はすべて,天台山の木石に書き散らした彼らの詩を集めたとされる『寒山詩集』に付せられた閭丘胤 (りょきゅういん) 名の序,および五代の杜光庭の『仙伝拾遺』に記された伝説に発するもので,寒山,拾得の実在そのものを含めて真偽のほどは確かめがたい。後世に禅僧などが彼らのふるまいや生活に憧れ,好画題として扱うことが多かった。顔輝 (がんき) ,因陀羅などに作品があり,日本でも可翁,明兆,松谿などが描いた。その詩は『寒山詩集』に寒山のもの約三百余首,拾得のもの約五十首を収め,すべて無題である。自然や隠遁を楽しむ歌のほか,俗世や偽善的な僧を批判するもの,さらに人間的な悩みから女性の生態を詠じたものまで,多彩な内容をもち,複数の作者を推測することもでき,さらにその成立もいくつかの段階を経ているとも考えられている。 ☆森鴎外(おうがい)の短編小説。1916年(大正5)1月号の『新小説』に発表。「寒山子詩集序」を材料とした、鴎外最後の歴史小説。唐代の官吏閭丘胤(りょきゅういん)が、豊干(ぶかん)という托鉢(たくはつ)僧の示唆で、天台山国清寺(こくせいじ)に赴き、寺の厨(くりや)で、拾得と寒山に会ったはよいが、恭しく正規の名のりをあげて、笑い飛ばされる話。世俗の権威主義、価値観を否定し、裸の人間それ自体の尊厳を象徴化した、鴎外短編中の逸品である。鴎外の退官直前の作品で、閭丘胤には、それまでの官吏鴎外自身も託されているとみられる。 [磯貝英夫] 『『山椒大夫・高瀬舟 他四編』(岩波文庫)』より

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