道教教団の創始者 祖天師張道陵

道教教団の創始者 祖天師張道陵

公開更新
道教の真理であり、宇宙・万物の真理である「道(タオ)」は、「全知全能の神」や「知性ある者」が意図して作ったわけではございません。天地開闢より、道は自然のものとして世にあり、道による教化と神の道による教え導きがなされておりました。それを守り伝えるのが道教の役目でございます。 道教と聞いて日本人が思い浮かべるのは老荘思想の大家である老子でしょう。彼の著作『老子(老子道徳経)』は世界の名著であり、日本語は無論、欧米各国語にも翻訳され、発行部数は聖書に次ぐベストセラーとなっております。 道教で老子は「太上老君」「道徳天尊」として神格化され、陰陽の秩序と道による教化を掌る神とされましたが、人間としての老子は哲学者であり、宗教教団を結成した訳ではありません。宗教としての道教は、普遍的原理としての「道」を神話・儀礼・倫理・共同体制度として具体化し、宇宙論・修行論・倫理観の根幹として再解釈し、宗教体系に組み込んでいったものであり、哲学としての「道」とは区別して理解する必要がございます。この点を踏まえると、中国後漢時代末期を生きた祖天師張道陵が創設した正一道こそ、教区制度・戒律・信徒・祭祀体系を備えた中国史上初の道教教団であり、宗教としての道教のはじまりであるといえるのです。 祖天師張道陵の本名は張陵、道教教団の初代天師(教団の主)であるため「祖天師」の尊称で呼ばれます。彼が創設した道教教団は、現代まで続いている中国史上初の宗教教団として認められており、太上老君より「正一盟威之道」を伝えられて創設したことから、正式名称を「正一盟威道」、略して「正一道」とし、祖天師への崇敬の意を込めて「天師道」とも称されます。 天師の称号は元々、原始道教経典の一つ『太平経』に説かれた、天意を体得した師が世に現れて人民を導くとする救済思想に基づいており、張陵は後漢の順帝の漢安元年(142)五月一日の夜、太上老君から天師として世を導くための命を受けたことから、この時を以て道教教団の設立としております。 この時代は、不老不死などの現世利益に傾倒した方仙道や黄老道の乱立が甚だしく、術を掌る巫(かんなぎ)の中には、人身御供や死体を用いた魔術によって人を傷つけ惑わす、悪魔の力を借りて術を行うなど、人々を恐怖によって支配する者も少なくなく、「道」本来のあり方を示す教えが求められておりました。 太上老君はまず、神や悪魔に依存し力を借りる巫を過ちとされ、神霊界と人間界との区別を明確にさせるべく、両者を分離独立させるよう祖天師に命じました。さらに、その使命を助けるべく、符・宝印・宝剣を授けました。符は邪鬼・邪神を祓うため、宝印は天師の権力を行使するため、剣は陽剣と陰剣の二本あり、陽剣は邪神を殺すため、陰剣は邪鬼を殺すための法器とされました。祖天師は太上老君から与えられたこれらの法器を使い、悪神・悪魔との戦いに身を投じ、勝利して後に彼らと誓いを結んだと伝えられます。その中で、神は天の朝廷の管理下に属し、降臨の際は南天門からしか許されず、勝手な出入りは認められないとされ、霊は地下陰界の管理下に属し、人は陽界に属すると定めました。もし、盟誓に反した場合、正一盟威の道法により誅戮を加えるとし、天師及び天師道教団が盟誓以後の神霊界と人間界との間の秩序維持の責務を負い、人間が神霊の干渉を受けないようにされました。 祖天師は教団の秩序のため、教区を二十四の「治」にまとめ、後に二十八治へと拡大されました。そこでは民衆の教化が重視され、領戸化民という家庭単位の教化活動を実践し、疫病蔓延の最中には、符を焚き灰にして水と混ぜ服用する符水により、病を治して救済にあたりました。符水による病気治療は祖天師が始まりであり、霊宝派の救済思想へと受け継がれ、後世の道教医学や養生思想を通じて、中国・漢方医学、はり・きゅう・あんまの基礎理論における、心身観・病因観の形成に影響を与えたと考えられております。 救いを求める信者に対し、祖天師は符水を与えるだけでなく神前での懺悔も求めました。道教以前の中国で個人の罪と罰を規定するものは法律のみであり、国家と個人との関係を定めるに過ぎませんでした。国家が機能しなければ法律は無いもの同然となり、「罰せられなければ何をしても構わない」などという堕落に陥ります。祖天師は世を導く者して天と個人との関係を重んじ、国家の有無や違いを超えた、人としての罪とは何かを示されました。道教経典とそれに基づく科儀書には今もなお懺悔文が記されており、道士は科儀を執り行う際に、必ず神前にて奏上いたします。霊宝派にはかつて「塗炭斎」という懺悔の儀式があり、道士と信者たちはみな死装束を着けて体中に炭や泥を塗り、冥界で罰を受ける死霊を演じて神々に許しを乞い、併せて祈願を執り行いました。日本各地に現存する墨塗り・泥塗り奇祭にも共通する、東アジアに共有された懺悔儀礼観の一端として理解することができます。 特に懺悔が重視された上元・中元・下元の日(旧暦一月十五日・七月十五日・十月十五日)に、神と仙官が人の善行・悪行を審査し、天の朝廷へその内容を上奏して具体的な賞罰を執行するとされ、「三会日」という集会を開き、「三官手書」という懺悔の意を記した文書を、天・地・水を掌る「三官大帝」に上奏しました。現在も中元節は道教最大の年間行事となっており、日本では恩師やお世話になっている人に「お中元」を贈る習慣となりました。 祖天師はさらに、信者の自宅に「靖室(静室)」を作らせ、修錬・懺悔・祈祷の場とされました。心を落ち着かせて自己を見つめる場とするため、内部を常に清め、出入りの音を慎み、香炉・燈明・机・文房具以外の余計な物を置いてはならない、などのしきたりも定めました。靖室の建築様式は宋・明朝との貿易を通じて日本に伝わり、日本の禅文化や書院造に大きな影響を与え、現代の「床の間」として結実したと考えられております。このように、日本文化には道教の懺悔の精神が少なからず根付いているのです。

レターの感想をリアクションで伝えよう!

道教正一霊宝派

守真道房
作品を見る