暑中お見舞い申し上げます。連日の酷暑がじわじわと身体にこたえてきました。ここ数年の異常な暑さが普通のことになってきたのでしょうか。
私の住んでいる広島市では雨もほぼ降っていません。雨乞いをしたいくらいです。毎日庭に水やりをしますが、結構木があるので大変です。
それでも毎朝楽しみなのは朝顔を見ることです。絞りが入った薄い紫や水色、濃いピンクの花が毎朝咲いて私を楽しませてくれます。
今日は8月6日、広島市の80回目の原爆の日です。広島にとって特別の一日です。私もこれまで欠かすことなく黙とうしてきました。
私の親族に被爆された方はいないのですが、広島市に育ってきましたので折に触れて、原爆の惨状や戦争の悲惨さ、平和について考える時間がたくさんありました。まず、知ることが大切だと思います。毎年たくさんの子どもたちや、学生、世界中の旅行者の方々が原爆資料館に足を運んでいます。
原子爆弾を落とされたら、その下で生活している人々にどういう事が起きるのか、想像を超えた惨状があったのかを目にすることは、とても辛く、悲しく、重く苦しい気持ちになると思います。決して決して楽しい場所ではないのです。それでも多くの人々が足を運んで、平和の尊さや、人間の愚かさや罪、大切な人を失わないために絶対に核は使わないと、頭の片隅に刻んでくださっていると思います。
私は小学生のころ、原爆ドームのすぐ近くにあった西連寺という浄土宗のお寺にピアノのレッスンに通っていました。毎週原爆ドームを見上げていました。香月弁海先生はお坊さんでもありましたが、ピアノの先生でもありました。西連寺の本堂には大きな阿弥陀仏様がいらしゃいました。門をくぐると、とても大きな扁額がかかっていて、その文字は 大悲 でした。大きく太く激しく書かれたその文字からは、原爆への怒りや悲しみ、無情や無常、言葉にできない苦しみが感じられて、子ども心にも見るたびに悲しくなったことを思い出しました。
広島と長崎、二度とあってはならない日から80年。遠い遠い昔の事ではなく、その日からずっとつながっている今日。今は一見平和に暮らせている日々がどれだけの犠牲の上にあるのか、立ち止まって思いめぐらす一日です。
2025年8月6日 今村みどり