運命としか言いようのない、金魚と私の物語(PartⅠ)

運命としか言いようのない、金魚と私の物語(PartⅠ)

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こんにちは♪金魚大好き、金魚と人生を共にする すあか です♪ 私は子供の頃に金魚と出会い、それがキッカケとなって、長年、金魚と暮らしてきました。 金魚飼育に困っている方が多いのを知って、何とか力になりたいと、この金魚レターを書くことにしました。 なので、たぶん、この金魚レターを書くのに30年と1日ぐらいかかっています。 今日は、金魚と私の不思議な出会いを書いてみたいと思います。 長くなるので、2回に区切ってお届けしたいと思います。 これは、実話です。 子供の頃、父親が小さな金魚をもらってきた。 父親は金魚に興味なし。母親も、金魚をうまく飼った経験も興味もなし。 でも、金魚は我が家に来てしまった… 母は金魚を、とりあえず、金魚鉢のようなものに入れた。 水道水を満たし、金魚をそのままドボンと入れた。 塩素中和も水合わせもしなかったと思うけれど それでもなんとか金魚は生き延びていた。 しかし、そんな状態で、金魚が元気に生きられるハズもなく、金魚は病気になった。 白点病だったのかもしれない。母が金魚に点々ができて元気がなくなったと困っていた。 金魚の飼い方など知らぬ母だったが、 母は白菜の漬け物が入っていた、大きめのプラスチック容器を空けて 金魚を移した。 今思うと、漬け物の容器はgoodである。たぶん少しぐらい塩が残っていたに違いない。 そして母はその金魚が入った容器を、庭のバラの木の根元に置いた。 考えてそうしたのかどうか?さだかではないが、バラのトゲが金魚を猫やカラスから守った。 小学生の私は、母から 「あの金魚は病気だから触ってだめだよ」と言われていたので、毎日、遠くから金魚の生死の確認だけをしていた。 毎日毎日、遠くから見たが、金魚は生きていた。 そのうち、雨が降ったり、木漏れ日が射したりするうちに、金魚の水は緑色になっていった。 まったくの青水になってしまい、金魚の姿が確認しづらくなったけれど、金魚は生きていた。頭だけがいつもちょこんと見えていた。 たまに母が 「あの金魚、エサもやらんのに、ずっと生きている」 と不思議がっていた。 秋がきて、冬になって青水の表面に氷がはっても、春になって、また夏がきて青水が濃くなっても、金魚は生きていた。 いつしか小学生だった私は中学生になった。 中学生になっても私は、朝、出かける前に、金魚を見た。 金魚は生きていた。 (つづく) さて、病気になった金魚に、この後、思いがけない事が起こります。 さて、何が起こったのでしょう。 明日をお楽しみに✨
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