大学生のころ、コロナ禍の自粛生活の時に、趣味でレザークラフトを始めました。何かを作り上げる感覚が好きで、SILURUという名前をつけて、少しずつ作品を作り、minneでの販売やマルシェに出店するようになっていました。
その後、SILURUを閉め、卒業後は小学校の教員になりました。
自分のクラスの子どもたちに「夢ややりたいことは何?」と問いかけながら、ふと気づきました。自分がしたいことは、作ることだと。
私自身のやりたいことを追い求める背中を見せることも子どもたちに何らかの影響を与えられるのではないかと思い、教員を辞めました。
あてもなく、知り合いもなく、イタリア語もろくに話せないまま、一人でフィレンツェへ飛びました。
到着した日から、フィレンツェ中の工房の門を叩きました。「働かせてください」と伝えるたびに、門前払いでした。それでも叩き続けました。言葉が通じなくても、気持ちだけは伝えられると思っていました。
渡航から1週間も経たないある日、弟子を探しているという一人の職人と出会いました。
ビスポークバッグブランドSAICのMURATA氏。イタリアを代表する革職人CISEIのOHIRA氏の弟子にあたる方で、世界中にファンを持つ工房を一人で切り盛りしていました。出会ってから2週間も経たないうちに、修行が始まりました。
師匠の工房は、フィレンツェを横断するように流れるアルノ川の南側、多種多様な工房が連なる一角にありました。私が住んでいた家からも、歩いてすぐの場所でした。
修行が始まった日から、毎日工房に通いました。最初は基本的な作業からでしたが、少しずつ慣れていくにつれて、バッグの製作にも携わらせていただけるようになりました。
師匠が求めるレベルは高く、妥協を許さない人でした。でも厳しいだけではなく、なぜそうするのかを丁寧に教えてくれました。毎日、昨日の自分より少しだけ上手くなっている実感がありました。あの日々は、今も私の作り方の根っこにあります。
師匠のバッグには、独特の魅力がありました。細部への妥協がなく、シンプルなのに持つ人を引き立てる。体の一部になるような、しっくりとした感覚がありました。世界中からわざわざフィレンツェの工房を訪ねてくる人がいるのも、その感覚を求めてのことだと思います。
渡航から月日が経ち、話せなかったイタリア語が、いつの間にかイタリア人の友人たちと日常会話ができるようになっていました。そのころ、師匠から「ずっとここで働いてほしい」と言っていただきました。それは本当に嬉しい言葉でした。ビザを延長してフィレンツェに残るか、日本に置いてきた彼女のもとへ帰るか。悩みましたが、帰国することを選びました。
今は結婚して、滋賀県草津市の3.5畳の小さな工房でSILURUを続けています。
師匠から学んだことをひとつ挙げるなら、細部に妥協しないこと。タンナーから直接仕入れた上質な姫路レザーを使い、触り心地と、持ったときのしっくり感を大切にしながら、バッグと小物を作っています。
フィレンツェで過ごした日々が、今もすべての作品に宿っていると思っています。
手に取っていただけたら、その違いをきっと感じていただけると思います。
SILURU 中西陽人
P.S.
ご拝読いただき、ありがとうございます。
今振り返ると、教員を辞めてイタリアへ渡るなんて、なかなか大胆な行動だったと思います。
2026年現在28歳の私が当時を振り返ると、あの勢いと若さに我ながら驚きます。
あの無謀とも言える決断を受け入れ、日本で待っていてくれた彼女と、今こうして結婚できたこと、感謝してもしきれません。