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透胎七宝(とうたいしっぽう。金属枠にガラスを焼き付ける技法)作家の銀晶工房と申します。
「銀とガラスと手わざの結晶」をコンセプトとして、主にアクセサリーなどを製作しています。
銀晶工房という屋号も、コンセプトから命名しました。
透胎七宝という技術を初めて聞いた、という方も多いでしょう。伝統工芸技法である彫金と七宝を併用した、ステンドグラスのように光を透かす技法です。
彫金(ちょうきん)とは、金属を彫ったり、叩いたり、透かしたりして、装飾する技法。
七宝(しっぽう)とは金属素地にクリスタルガラスを焼き付ける技法のことです。
なぜこの技法にこだわって製作するようになったのか、自己紹介も含めて少しお付き合いください。
(N◯Kの朝ドラ並に長いです。ご興味無い方はそっと閉じてください)
私は周囲とコミュニケーションをとるのが不得意な、内向的な子供でした。兄の影響でマンガ、アニメ、ゲームが大好き。
小さい頃は、自分だけの空想の世界によく逃げ込んでいました。
お気に入りの、マンガの絵を真似して描くのが好きで、「将来はマンガ家になりたい」と次第に思うようになりました。
そして夢を叶えるべく、中学受験をして美術系の学校に行ったのです。
しかし、いざ入ってみると、私より絵が上手い子がゴロゴロいます。
マンガ家やイラストレーター志望の子も多く、その子たちの才能や熱量に圧倒されました。
お恥ずかしい話しですが、「あ、私にはムリだな」と早々にマンガ家の夢は諦めてしまったのです。
それでも6年間デッサンや油絵、デザインなどの基礎を学び、部活のテニスで真っ黒になりながらの学生生活を送りました。
卒業後の進路を考える時期になったとき、京都に伝統工芸を教えてくれる学校がある、と親が教えてくれました。(ちなみに東京出身です)
伝統工芸!格好いいなとあっさり進路を決めました。
今まで絵を描いたので、次は彫刻にしよう。
仏像彫刻なんて面白そうだな、と単純な理由で決意したのです。
試験はガチガチに緊張しましたが、無事合格。
親元をはなれ、意気揚々、単身京都へ乗り込むことになりました。
結論から申しますと、年代も出身も様々な人たちとの出逢いは面白く、仏像彫刻は奥深く、実に学びの多いものでした。
ところが、私の興味は道具の彫刻刀に向いたのです。
先生の馴染みの鍛冶屋さんに工房見学させてもらった際、火と鉄に魅了されてしまったからでした。
わたしも鍛冶屋になりたい!と、学校卒業後は刃物の製作会社に就職しました。
今思えば力仕事は不得意なのに、無謀な挑戦です。まだ20歳そこそこでしたので、勢いだけで突っ走ってしまいました。
きつい、汚い、危険の3k職場。
鍛冶仕事で使う金槌は重すぎて、私には振れませんでした。
他の鍛冶屋さんからも「あんたは、鍛冶屋の手はしてない」と言われてしまいました。
確かにその人の手はグローブのような、ごつくて大きなものでした。
対する私の手は、細長くてひょろひょろ…
確かに向いてないのかも、と自分でも納得してしまいました。結局、大きな回転砥石(グラインダー)で刃物を成形する、研磨工として働きました。
ですが人生どう転ぶか、わからないものです。
実はこの時から、彫金らしきことを始めました。
らしきとは、私が絵を描けると知った上司が刃物に彫刻してみないか、と任せてくれたのです。
銘切りという、お客様の名前を刃物に刻むことも研修で習ったので、その延長線上のことでした。
彫ったものは、今振り返ると拙いものでしたが喜んで頂けました。
これだったら、非力な私でもいけるかもしれない。
日を追う事に本格的に挑戦したい、という気持ちが膨らんでいったのです。
結局2年ほどで会社を辞め、運の良いことに彫金の工房を紹介してもらえることになりました。
その後約10年にわたり、神社やお寺の金具をつくる彫金師として修行をすることになります。
そこで初めて手にした、木槌の軽さには感動しました。これだったら何とかやっていける、と嬉しかったのですが、そこは「見て覚えろ」の世界。
もちろん甘くはありません。
単調とも思える作業を繰り返し、体に技を叩きこみます。最初は何をやっても上手くいかず、叱られてばかりでした。自分の至らなさが悔しくて、バケツ一杯分くらいは泣いたと思います。
けれども次第に出来る事が増え、仕事を任せてもらえるようになりました。
自分も職人のはしくれになれたのか、と嬉しく思う一方で、しばらくすると別の悩みが出てきました。
職人の仕事は慣れてくると、ルーティンワークが結構多いです。(業種や工房にもよりますが)
もっといい仕事がしたい、腕を上げたいと望んでいましたが、手間のかかる仕事は単価も高くなります。そんなことは求められていませんでした。
私はこのまま一生を終えるのか、これでいいのかと、悶々とする日々をしばらく送ることになります。
そしてある時、その後のあても無いのに工房を辞めてしまったのです。
いっそ彫金はもう辞めて、新しいことをしようかと考えていました。
とりあえず、久しぶりに手に入れた自由です。
せっかくなので満喫しようと、あちこち旅行したり、ドラマや映画を片っ端から見たりしました。
しかし、そんな生活も次第に飽きてきます。
何も生み出していない自分を、虚しく感じるようになりました。世界から、私ひとりだけ置いてけぼりにされたような気分でした。
そして、結局また作り始めることにしたのです。
やっぱり私は彫金しか出来ないな、と再確認しました。
もともと飽きっぽい、中途半端な性分です。
それでも、彫金だけは捨てられませんでした。
10年続けているうちに、いつの間にか自分の芯となっていたのです。
作業しているときが一番充実感を感じられました。
貯金がだいぶ少なくなってきたので、バイトをしながらでしたが、色々な技法に挑戦したり実験する日々が始まりました。
その時から、作品や製作過程をインスタグラムで発表するようになったのです。
(やっぱり他人様に見てもらったほうが、やる気が出ます)徐々にフォロワーさんも増え、手応えを感じるようになりました。
けれどもその反面、どうにも自分は個性が足りないとも思い始めました。
SNSで活躍している作家さんたちの作品は、ひと目でその方の作品とわかります。
私にはそれが欠けていました。
職人は求められたことに対して、技術とノウハウを提供することが仕事です。
他者から要求されたものを作ることに慣れていた私は、自発的に表現するということにまだ戸惑っていたのでした。
自分だけの世界はどこにあるのだろうか。
その答えを求めるように、以前から興味のあった七宝を独学で始めました。
職人時代、七宝が使われている古い金具を書籍で見つけたのです。
とても個性的で、こんな表現方法もあるのかと、目からウロコが落ちる思いでした。
自分の作品に取り入れてみたい、とずっと考えていました。
また七宝作家の並河靖之が大好きで、七宝への憧れもあったのです。
(並河靖之(1845–1927)は、京都を中心に活動した日本を代表する七宝作家です)
私が長年関わってきた金属は、七宝と同様に半永久的な性質をもっています。
堅牢で、小さな精密なものから大きな豪快なものまで(限度はありますが)自由自在に形を作れる素晴らしい素材です。
しかし、色がかなり限られるのです。
七宝は金属には無い、たくさんの色を持っていました。
七宝技法にはいくつか種類があり、「光を透かす」透胎七宝に特に惹かれました。
子どもの頃からキラキラした光が好きだった私には、ぴったりな技法です。
また彫金技法が生かせることも、透胎七宝を後押しする大きな理由でした。
そもそもやっている人がかなり少ない、希少な技法でもあります。
ここに糸口があるかもしれない。
自分だけの個性が出せるかもしれない、と日々研究に明け暮れました。
しかし、金属とガラスは性質が全く違います。
多様な色彩を得る代わりに、ガラス特有の性質(もろさなど)も加わることになります。
上手くいかないことも多く、心が折れかけたときもありました。
それでも試行錯誤の末、ようやく初めての作品が出来上がったのです。
太陽光にそっと透かしてみると、今まで見たことのないまばゆい光が表れ、心の底から感動しました。
残りの人生は、この技法を中心に表現していこうと決意したのです。
長くなりましたが私にとって透胎七宝は、ようやくこの世界で見つけた、自分の居場所であり、光です。
そしてこの光が、ほんのわずかでもあなたの居場所として存在出来たら、作家としてこれ以上嬉しいことはありません。
最後までお読み頂き、まことにありがとうございました。どうぞ、これからもお付き合い、応援宜しくお願い致します。
1986年 東京都生まれ。
2005年 女子美術大学付属中高校卒業。
2007年 京都伝統工芸専門学校(現大学校)卒業。
現在は京都在住。
趣味は読書、映画、ミニチュア作り
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